僕がガバナーに就任した頃のこと。僕がサラリーマンなら六〇歳の三月末で定年退職という人生のはずであったが、大学教員の定年は六五歳、税理士業は定年なし、ということで、僕は二足の草鞋(わらじ)を履いて仕事を続けていた。

一方、僕の友人の多くは定年を迎え、すでに一年間もノンビリぶらぶらしている状態だった。そんな彼らに、定年前からロータリーの入会を勧めていたが、当時は思いっきり余生を楽しむ風情で、定年後は毎日ゴルフが出来る、家庭菜園が出来る、旅行が出来る、など言いたい放題でまるっきり僕の話など聞く耳を持たなかった。

ところが、ここ最近になって彼らが言うには、「人生に目的がないということがこれ程に空しく辛いものとは思わなかった」「退屈とは死ぬほど苦しいものだということを悟った」ということを思い知ったというのだ。

「よし、来た。いまがロータリーに誘うチャンスだ」そこで一番、僕から蘊蓄(うんちく)の一つを披露して、「ラテン語のfinis(英語ではfinish)には二つの意味がある。一つは『終わり』という意味だが、もう一つは『目的』という意味がある。目的を持った人間は一日が一時間のように早く感じられるのに対し、目的を持たない人間は一日が一週間の長さに感じられるのだ」など……。

そしてもう一押し。「死は誰にもやってくる。それを引き延ばすことだけが生の目的ではない。死の前の生が充実することが本当に意味あることなんだ」と言い放つ。そして、「だから君にはロータリーが必要なのだ」と(たた)みかける。

ロータリーに入れば、毎週決まった曜日の決まった時間に外出する、他人様に会うのだから少しはお洒落をしよう、友人に一週間の出来事を話そう、友人と次の約束をしよう、そんな期待感で次の一週間が過ぎるのは本当に楽しいぞ、だからお前もロータリーに入れ、とこんな感じで勧誘するのだ。