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とにかく目立ちたがり屋で、周りを見れず、いつも自分のやりたいようにやってきた。それがいじめっ子の目に留まり、いつも恰好の標的にされてきた。そんな自分の唯一の強みは学習能力であったが、それすらもいじめっ子には気に食わなかっただろう。

そんな私だが、いつも周りには友人がおり、元来、人懐っこい性格だった。だからこそ、自分が心地良い道を選び、それを認めてくれる人、認めたくない人に周囲が分かれていたのではないか。

私が通った保育園では、当然周りの人もやりたいようにやっていて、声の小さい私など目にも留まらなかったため、たまに喧嘩に巻き込まれて嫌な思いをするだけだったが、その保育園の隣にある、憧れだった小学校に通う頃から、私のいじめとの闘いが始まる。

私は、授業中はよく挙手をするほうだった。母親が教育熱心で、通信教材を申し込み、私はやったページだけ漫画の1コマが貼られ最後に物語が完成する単純な仕組みの教材にハマり、熱心に取り組んでいた。そのため、予習十分で授業に臨んでおり、目立ちたい、良い恰好をしたい私はどの授業でも挙手をし、正解することで、「人より優れている」と、自己満足していた。

当然、その姿は良く思わない人もいるだろう。何かと因縁を付けられて喧嘩になり、いつも手を出せずに負けていた。当時の私は、学習能力はあったが、自分で答えに辿り着く力、周りからどう見られているかを考える力が不足している(今も苦手である)ため、なぜ自分がこんな目に遭うのだろう、と考えても答えは出なかった。

しかし、今でも通信教材は大当たりだったと思っている。なぜなら、この早い時期に知識の「詰め込み方」を体が学習したおかげで、後々まで「学習能力が高い」人間でいられたからだ。母には感謝してもしきれない。

元来、私は何をするにも不器用で、子どもの頃に取り組んだことで人より早くマスターできたものはない。教えてもらって、何度も飽きるまで反復してやっと人と同じようにできるようになっていく人間だった。

これも発達障害故かもしれないが、そんな私だからこそ、通信教材を買って、「予習をする」というレールを作ってくれ、学校の授業を復習に充てるスタイルを作ってくれた母のおかげで、「勉強の身につけ方」「覚え方」を習得し、「学校の勉強」という私の強みが一つできたことが当時はとても嬉しく、誇らしいことだったのだ。

※本記事は、2020年9月刊行の書籍『バイナリー彼女』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。