序 ─ 嘉靖九年、われ自宮(じきゅう)し、黒戸(ヘイフー)の宦官となるの事

宦官の生きる道は、それしかないのか。

「叙達(シュター)」  

老魏(ラオフェイ)が、顔をしかめながら、口をひらいた。

「……あのとき、彼が、すぐさま、ワシをなぐっていなかったら、太后さまは、指をお立てあそばされたに、ちがいない。四本、お立てになれば、四十発、五本なら、五十発だ。そうなれば、竹の先を割った笞(むち)で、力いっぱいたたかれる。これは、絶対服従で、途中でやめることは、ゆるされんのだ。

あの責め具で、四十発も打たれてみよ、肉が裂けたり、骨が折れたりするだけなら、まだ、いいほうだ。ワシは今まで、打たれて死んだ宦官を、何人も見て来た。これくらいのけがなら、大したことはない。彼が、とっさに、動いてくれたおかげだ」

これで、わかったろう、と言うかのように、趙三芳(チャオサンファン)はにんまりと笑った。

「さあ、そろそろ行こう。ここは寒いからな。急いで手当てをしてやらねば」
「う、うう」

老魏(ラオフェイ)がうめき声を発した。

「痛いですか」
「……痛いことは痛いが、大丈夫じゃ。これで、何十年もやって来たからな。ワシの背中を、さわってみろ」

まさぐってみると、かたい厚紙のようなものが入っている。

「牛の革を、切ったものだ。そなたも宦官としてお仕えをはじめたのなら、こういうものをしのばせて、不意の殴打に、そなえておけ」
「は、はい」
「それからな、じつは、ワシが殴られたのは、最初の二、三発だけじゃ。彼の、二の腕を見てみろ」

趙三芳(チャオサンファン)が、袍子(パオツ)の袖をまくった。内出血で、赤く腫れ上がっている。

「これは、いったい……」
「まあ、手品というべきかのう。おぬしには、ワシが十発も二十発も殴られているように見えたろうが、殴りまねにすぎん。まわりには、ぶんなぐっているようにしか見えないが、その実、自分の腕をたたいて、派手な音を出すだけ、こっちは、それに合わせて、左右に頭を振っていれば、お仕置きがすむというわけじゃ。おかげで、命拾いした宦官が、何人もいる」

そうだったのか。

「おそれ入りました、大哥(ターコウ)」

趙三芳(チャオサンファン)が、もう一度にんまりと笑った。

※本記事は、2018年12月刊行の書籍『花を、慕う』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。