全てはグッジョブ運動から始まった

県知事選挙に当選してすぐの翌年4月には、観光商工部(現在の商工労働部、観光部門はのちに文化観光スポーツ部として分離新設)に雇用創出戦略スタッフ室を新設しています。

そして「みんなでグッジョブ運動」推進をスタートさせていますね。仲井眞全県横断的なグッジョブ運動はそれこそ一生懸命でしたね。

途中、リーマンショックなどで長期不況に見舞われたりして県内経済事情が逼迫、失業問題の解決を一段と難しくした時期もありました。

しかし、東京や大阪・愛知など全国の大きな産業が立地する都府県は時間をかけて大体廻り、沖縄進出を強力にお願いしました。

ナショナル(現在のパナソニック)、トヨタ、日本デンソー、関東・関西の電力関連企業群などほとんどお邪魔しています。

トヨタやデンソーは沖縄出身者の就業が多く、年間1千人以上がお世話になっていると聞いて驚きました。

企業誘致に関しては、観光産業振興ともリンクさせた航空路開設など中国や香港、韓国などにトップセールスで出かけています。

アジア太平洋経済圏との交流を重視した結果、入域観光客1千万人(年間)の目標達成が可能になりました。

「グッジョブ運動」と関連しますが、アメリカでは基地問題解決だけではなく、機会を見つけては企業誘致活動、雇用対策もだいぶやりましたよ。

知事在任中は合計で4回米国訪問をしています。もちろん、基地問題の課題解決が主要なテーマです。

だが国防総省(ペンタゴン)や上下両院議員など関係要路では基地問題以外に時間を割いてもらって、沖縄への企業誘致を頼み込んだものです。

だって、アメリカは産業が世界一集積しているメッカですよ。あらゆる産業、企業があります。

ペンタゴンでは

「基地だけ置くのではなく、沖縄にアメリカ企業のひとつでも張り付けて、沖縄の人々に仕事をくれないか。そうすれば感謝される」

と切り出しました。

ペンタゴンは、ミサイルや戦闘機の製造企業をはじめ、船舶(艦船含む)を造る造船企業をたくさん揃えています。

「沖縄はかつて、造船企業を育てた歴史と伝統がある」

と、造船産業がきても十分に対応できる沖縄の事情を説明しました。

私は、1960年代の終わり頃にJETRO(日本貿易振興機構、通産省の外郭団体)のニューヨーク駐在員として三年間、通産省から派遣され、アメリカの産業事情を調査した経験があります。

だから土地勘を頼りに西海岸の企業は数多く廻り、IT先端技術産業などにも誘致活動で行きました。

だが、当時のアメリカ産業はほとんどがアジアの巨大市場である中国にしか関心がありません。

当時、13億の人口を擁する中国市場への参入は、あの頃の世界的な経済潮流だったのではないかと思います。同じアジアの経済圏にありながら沖縄には目を向けませんでした。

それでも県庁スタッフは言葉の壁を物ともせず、アメリカの企業を一生懸命訪ね歩き沖縄への企業進出を呼び掛けました。

私にとっては、県政のなかでも記憶に残る企業誘致活動のひとつになっています。