昨日の中国人の若い方が店に来た。彼の名はジェームスといった。彼ら従弟もまたこの老人が移住のスポンサーだった。ミスター‐ディーンはただ座っているだけのようだった。

暇な時、ジェームス相手にチェスをしていた。ジェームスは製品の仕入れや会計事務など、この店の実務をこなしているらしい。

仕事のあと、彼はヨーク大学の夜間部に通学していた。後年、彼は博士号を取得、カナダの首都、オタワで政府の職員になった。おとなしく控えめだったが頭は冴えていたのだ。

政裕は店で彼の助手として店の手伝いをすることになった。

住居と車

とにかく家族で住む場所を決めて妻に連絡しなければならない、電話を待っているはずだ。

アパートを探す方法を教えてもらって近所のアパートらしい建物を覗いて回り空き部屋ありの看板を探した。ジェームスが教えてくれた一キロぐらい離れたところにある八階建て鉄筋コンクリート造りのアパートを訪ね管理者の婦人に面会。

日本で言えば二LDKの部屋だけが空いていたのでそれに決めた。かなり広いリビングルームがあった。

次にしたことは車の免許を取ること、中古車を探すことだった。右側通行で車は左ハンドル、パワーブレーキ、パワーハンドル、これは経験のないことだった。

免許申請の翌日に試験官が助手席に乗りその周辺の道路に出て運転試験をさせられた。途中で駐車の技量、信号が認識できるか、など初歩的なもので甚だ簡単、詳細な交通ルールについての言及もなしでその日に免許証が発行された。

試験官が政裕の日本での運転歴十年のことを知って適当に合格させてくれたのだろう。

中古車探しを始め、新聞広告に出ていた中古車を見て回ったが、ボディーに穴があいているのが多かったのはカナダでは冬、道路の凍結防止剤に塩をまくのがその犯人だとわかった。耐腐食性に優れた鋼板が開発された今では考えられない。

ジェームスに勧められて一緒に自動車修理業のヤードに行ってみた。中古車が何台かあったがそのうち外観の悪くない六年前のシボレーのフルサイズ、クーペを試運転してみてこれに決めた。

あとになってエンジン排気量が大きいのでガソリンの消費が桁違いに大きいことに気づいたがガソリンの価格は日本の三分の一ほどだった。