インタビューの会場は、撮影所内の大ホールでということだった。報道陣はひしめき合うようにホールに入っていった。笹野たちも末席に陣取った。ホールのエアコンが作動し始めた。人いきれの蒸し暑さがどうにか解消し始めた。

午前八時きっかりに壇上に数人の要人が着席した。頭の少し禿げ上がった五十がらみのインド人と思しき男が立ち上がった。

「撮影所長のナーラーヤン・ハービクです。今日は世界各地から報道陣がおこしとのことで、急遽(きゅうきょ)会場をしつらえました。当撮影所として皆様を歓迎いたします。このコルカタで撮影される映画にハリウッドからの参加をいただいたことで、ニュース性が倍増されてこのような賑わいとなったわけであります。どうか皆様には忌憚(きたん)のない報道をされんことを切に希望いたしております」

次に司会者と思しき男性の自己紹介があり、壇上の要人の紹介が始まった。数人のインド人男性が製作者として紹介された。そして中央に座っていた日本人とみられる男性を司会者は、

「監督および脚本の涯鷗州(がいおうしゅう)氏。日本人です」

と紹介した。

今まで拍手をおざなりにやっていた報道陣から、どよめき交じりの拍手が起きた。日本人が監督ということを初めて知ったような雰囲気のものも少数いたようだ。

「涯鷗州」と呼ばれて立ち上がったその男性は、年のころは三十代後半の気鋭十分の偉丈夫といってよかった。

茶のブレザーに黒のズボン、赤く日焼けした素顔はあごひげで縁取られ、ホール全体の報道陣を射すくめるような眼光が奥まった眼窩(がんか)から発せられている。

立ち上がった肢体から目見当でも百八十センチを超える長身と見て取れ、全体がどっしりと地に生えた樹木を連想させる雰囲気である。

※本記事は、2021年5月刊行の書籍『マルト神群』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。