これも少数派に属しているが、いわゆるプロの政治家にはなれなくとも、まず最初は何らかの行政職に就き、将来官僚として政策手腕を発揮できれば十分報われると考えるタイプの塾生もいた。

将来の進路をフレキシブルに変えていく者がいるかと思えば、政治家志望のグループで、政治理論を具体的に立ち上げ、行政サイドに働きかけて一部なりと法制化をめざすのが最大の目標であるとする政治的原理主義者もいた。

そのような原則論を標榜する者が多数派を占めそうであるが実際は逆で、官僚ヒエラルヒーの末端に連なるぐらいでは自らの本領を発揮して独自の政治理念を現実の政治に活かすことなどできるわけがないというのが塾生たちの大方の考えだった。

鬱屈した閉塞の時代といわれる七〇年代後半を経て、一九八〇年代中期から九〇年代初期の、いわゆるバブル経済が興隆しさらには崩壊していく時代まで、その強度には波があるとはいえ、マスメディアの側から官僚に向けられた批判は一貫して続いていた。

杓子定規の考え方しかできず配分予算の確保と割り増し分の分捕り以外では情熱を込めて仕事をしないというイメージが、大なり小なり日本の官僚にはついて回っていたということも、メディアのみならず世論の動静を調べても否定できない事実である。

多くは官僚に対しての固定観念から出てきた批判ではあるとしても、当時はそのような見方が定着していた。

この傾向は現在まで続いている。ミレニアムの変わり目以降、安倍内閣の時代に至って内閣人事局が官僚のトップを事実上選べる権能を有して以来、ますます官僚組織全体が萎縮していったのは周知の事実である。

来栖や同じ年齢層の塾生たちは入塾の頃は塾で少数派だったが、官僚に対するステレオタイプのイメージに捉われないで、国会や地方議会の議員職からジャーナリズムの分野でのフリーランサーの職分に至るまで、あらゆる職種を視野に入れ、自らの将来を全方位に開放して模索し始める者が増えていった。