心変り

朝顔の父宮である式部卿宮が亡くなられて、朝顔は斎院の地位を退き、式部卿宮の旧邸である桃園の宮に移った。

内大臣である光源氏は、必死になって朝顔に言い寄る。朝顔と同じく桃園の宮に住んでいる女五の宮(桐壺院の妹宮で、光源氏の叔母)は、朝顔が光源氏の正妻になることを望んでおられるし、朝顔に仕える女房たちもそれを期待している。それでも、朝顔は、かたくなに光源氏を拒み続けた。

朝顔は、なぜそれほど頑強に光源氏を拒んだのだろうか。朝顔の心境は、次に掲げる歌の贈答に示されている。

光源氏「つれなさを昔にこりぬ心こそ人のつらきに添へてつらけれ」

(昔からのあなたのつれなさに懲りもしないでいる私の心こそが、今のあなたのつれなさに加えて、私につらい思いをさせているのです)

朝顔「あらためて何かは見えむ人のうへにかかりと聞きし心がはりを」

(いまさら私が心変りをすることなどありません。あなた様は、あの方とのことで、心変りをなさったと聞きましたが)

朝顔の歌にある「人」(あの方)とは、六条御息所(故前坊(ぜんぼう)の妃)のことであると解する。

これらの歌の贈答のときから(さかのぼ)ること十年、朝顔は、光源氏の六条御息所への冷たい仕打ちについての噂を聞いた。

まず、光源氏が御息所に熱心に言い寄った。御息所は初めのころは光源氏を受け入れなかったが、やがて御息所がその気になったとたん、今度は光源氏がうって変わってまるで熱心でなくなってしまった。光源氏の心変りである。

光源氏がめったにやって来ないのが恨めしいし、世間でどのように噂されるのかも気になる。御息所は思い悩んだ末、御息所の姫君が斎宮として伊勢へ下られるのを機に、自分も伊勢へ同行することにした。

このような噂を聞いた朝顔は、自分が御息所のようになってはならない、光源氏の甘い言葉を決して受け入れないようにしようと、堅く心を決めた。それが十年を経て今日に及んでいるのである。

朝顔の歌の「人」について、諸本は女性一般と解しているようだが、これを六条御息所と解することによって、朝顔の思いとこの歌を受け取った光源氏が朝顔のことをあきらめるほかないことになった心の動きとを、生々しく理解することができる。

※本記事は、2021年6月刊行の書籍『源氏物語 人間観察読本』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。