ところで、殺人事件の捜査は難航していた。捜査本部の大東警部は連日頭を抱えていた。

事件を恨みによる顔見知りの者の犯行と断定して以来、井上の知人の全てが捜査の対象になった。松越百貨店金沢店は、パートタイマーを含めた三百五十二人の全社員が、事件当日のアリバイを求められた。

その結果、一人だけアリバイが実証されない者がいた。これは入社三年目の社員だった。しかし、これも後日証明された。彼は、デートクラブのような店に行って、そこで知り合った高校一年の女生徒とホテルにいたことを吐露した。捜査本部は彼を厳重注意にとどめた。

これらと平行して、当然店長の女性関係も洗われた。

店長は妻に先立たれ、独身生活を余儀なくされていたが、女性関係に関しては潔癖で、具体的な内容が周囲の者の口からきこえてこなかった。智子との間は誰にも告げていなかったようだ。

だが、意外な所から発言があった。井上が住んでいたマンションの管理人が、三十歳くらいの女が時々井上の部屋に来ていた、と証言した。それは、井上の部屋から検出された指紋からも裏付けられた。彼女は、井上の机の引き出しから見つかったたった一枚の写真に、ツーショットで写っている女性と推測された。それは四国の桂浜で写したと思われる写真で、昨年の十月の日付が入っていた。

管理人によると、この女が来訪するのは不定期で、一ヵ月に二度の時もあれば、二ヵ月間ぐらい来ない時もあったとのことだった。だが、管理人も女の来訪時を全て目撃していたわけではないので、その頻度に関しては断定できなかった。しかし、その女が事件の前三ヵ月ぐらい姿を見せなかった、と管理人が発言したことに大東は着目した。この女が事件に何らかの関連があるのではないだろうか、そう考えた。

ところが、この女に関する情報は、管理人以外からは全く入ってこなかった。だから、名前すらわからなかった。

大東はこの女性の存在を心に留めながら、平行して、出入りの業者を調べた。総勢二百八十五人だった。当初このうちの五人のアリバイが得られなかった。が、時間を追うごとに証拠が出てきた。そのうちの二人は、事件当日の土曜日のその時間に、風俗店で悦楽を享受していた。だから、照れ臭くてなかなか言い出せなかったが、風俗嬢が彼らのアリバイをそれぞれ実証した。

残る三人は、当日在宅していたというものの、一人暮らしで証人が存在せず、アリバイが立証できなかった。だが、いずれの者たちも、末端の出入りの業者で、店長の顔さえはっきりとわからないような有様で、したがって店長との間に構築された人間関係もなく、恨みを抱くような動機もなかった。だから、この三人は捜査本部の判断で白と断定された。

これらの合計六百三十七人の捜査が完了するまでに、実に四ヵ月が費やされた。そして、その年も既に夏が終わろうとしていた。

当初百人体制だった捜査本部も徐々に縮小され、その頃には三十名を割っていた。捜査本部の大東警部は、長期戦を覚悟していたが、ここまで容疑者が特定できないと、犯人を検挙するのは、かなり困難なのではないかと思うようになっていた。

秋になって、更に捜査陣の人数が減少した。それは十月の警察署の職員を初めとする一連の公務員の人事異動とも微妙に絡んでいた。