密度の濃い渋谷の町は益々濃縮する

現在、JR山手線の渋谷駅に接続する私鉄と地下鉄は、東横線、田園都市線、井の頭線、地下鉄銀座線、地下鉄半蔵門線、地下鉄副都心線の六本となり、更に、東横線が地下鉄副都心線に地下で繋がったことで間接的には東武東上線、西武有楽町線の二本とも繋がることになり、都合八本の私鉄電車の乗降客がJR山手線と私鉄相互の乗り換えとするので渋谷駅構内は鉄道の一大乗換拠点になりました。

多くの鉄道が一ヶ所に集まる東京駅では、乗り換えのために駅構内を長距離間歩くケースが生じていますが、狭い谷間にある渋谷の駅では、各鉄道の乗り入れ駅は水平には並びきれず、垂直に配置されているので、乗り換える乗客は水平移動よりは上下移動することが多く、通路は迷路のようです。

狭くて濃密な渋谷の町を目に見える形にした場所がハチ公前のスクランブル交差点です。交通信号が青に変わると、交差点の四方に待機していた大勢の通行人が広い交差点を埋め尽くして素早く渡ります。

交差点を渡る群衆は一回最大三千人と言われ、ぶつかり合うことなく短時間に渡りきります。

スクランブル交差点の角のビル二階にスターバックスがありますが、そこからスクランブル交差点の激流を見ていた外国人旅行者は、人と人がよくぶつからないものだと感心して、コーヒーを飲みながら繰り返し眺めて飽きなかったと言っていました。

渋谷交差点の混雑するスクランブルで何故人と人がぶつからないか、それは江戸の下町で覚えた公道での行儀作法に因るのです。

江戸の下町には、「傘傾げ」「肩寄せ」「肩引き」という言葉がありましたが、これは道ですれ違う時の作法のことで、その習慣が今も続いているのです。

と言いましたら冗談ではない、江戸に三代住まねば江戸っ子と言えないではありませんか、時代は変わり人も入れ替わり、本物の江戸っ子など極めて少数派ですよと言われました。

しかし、文化というものは伝承し感化するものです。

それでは、スクランブル交差点を渡った群衆は何処へ行き、何処から駅へ戻ってくるのでしょうか?

戦後の渋谷の繁華街は、嘗て渋谷のメインストリートだった大山道の道玄坂から西北の方向に拡大しています。渋谷で賑わう繁華街は、渋谷川の支流だった宇田川流域の跡地に集中しています。

宇田川流域跡地は、公園通りと文化村通りに挟まれた繁華街地域ですが、その中央部にセンター街通りと井の頭通りという二本の賑やかな通りが平行して走っています。

スクランブル交差点を渡った群衆の多くは、公園通りと文化村通りに行くか、この二本の繁華街通りに吸い込まれていきます。

渋谷の演奏会場、映画館、イヴェント会場などは、宇田川流域跡地の繁華街の更に奥にあるので、群衆の多くは繁華街を通り抜けた先を目指しているのです。

公園通りを上り終えた所に渋谷公会堂(LINE CUBE SHIBUYA)、ミュージカル劇場AiiA、NHKのイヴェント会場があり、文化村通りの突き当たりには大型複合文化施設のBunkamuraビルがあります。

Bunkamuraビルにはミュージアムがあり、コンサート、オペラ、バレーなどを開催するオーチャードホールがあります。

※本記事は、2021年5月刊行の書籍『東京の街を歩いてみると』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。