渋谷 谷間に流れ込む若いエネルギーは絶えず

(1)渋谷戦前の発展、戦後の発展

数多くの私鉄、地下鉄が接続しているJR渋谷駅は、今でこそ乗換客数では都内でトップを競う程の駅ですが、渋谷の町の発展は新宿より大分遅れて始まりました。

江戸時代にお伊勢参りに次いで人気の高かったのが大山参りで、渋谷はその大山街道の通り道にありましたが、大山街道の宿場は道玄坂を上った坂上にあり、渋谷川が流れる谷間の渋谷の町から離れたところでした。

大正時代に山手線が開通してから渋谷駅周辺も賑わい始めます。大正十二(1923)年に起きた関東大震災は、渋谷の町に大きな変化をもたらしました。

被災した下町の名店が道玄坂上に避難してきて、道玄坂百軒店(ひゃっけんだな)という新しい商店街を造りました。

道玄坂百軒店にやってきた店舗の中には上野精養軒、資生堂、山野楽器、天賞堂などの有名店が数多くあり、劇場、映画館なども同時に進出したので、郊外の冴えない三業地だった道玄坂上は、関東大震災後に一気に繁華街として知られるようになりました。

道玄坂百軒店の名店街によって道玄坂上が賑わえば、道玄坂にも人通りが増えて賑わってきます。その後、道玄坂商店街は渋谷の町の最初のメインストリートとなりました。

しかし下町が震災から復興すると、道玄坂百軒店に避難していた名店の多くは元の下町に戻りました。

名店は去りましたが、道玄坂百軒店は、映画館、ストリップ劇場、カフェ、バーなどが集まった歓楽街として存続し、戦災に遭って戦後は規模は縮小しましたが、暫くの間は渋谷の遊興地として賑わいました。

戦前の渋谷の発展のきっかけを作ったのは関東大震災でしたが、戦後の渋谷発展のきっかけは、昭和三十九(1964)年の代々木の米軍兵舎ワシントンハイツの返還でした。

米軍施設が日本に返還されると、その跡地に大規模施設が次々建設されました。今ある代々木公園や国立代々木競技場、更には国立オリンピック記念青少年総合センター、NHK放送センター等は、嘗て米軍が使用していた跡地に建てられたのです。

中でもNHK放送センターが愛宕山から渋谷に引っ越してきたことは、渋谷という取り柄のない町が、急に強い情報発信機能を持つ町になることであり、その後の渋谷に情報関連のベンチャー企業を引き寄せる原動力になりました。

またNHK放送センターが催すイベントに人々を集めることになりました。メインストリートの道玄坂が翳りを見せるなか、戦後の渋谷の街にモダンさを注入したのが公園通りでした。

米軍施設があった頃は寂しかった公園通りの緩やかな坂道には、流行を先取りするパルコを初めとしてファッション系の店舗が数多く並び、NHK放送センターや渋谷公会堂でのイベントに参加する若者達が往来する通りとして何時も賑わいました。