カナダ移住計画

ある日休みをとって静岡県庁の海外移住事業団静岡事務所を訪問した。カナダ移住についての意思を伝え、情報の提供を依頼した。

所長さんは移住を積極的に援助する立場のように見えた。勧めに従って東京のカナダ大使館に赴き移住申請手続きをした。

当時の移住担当係官の日本人、T氏に面会した。申請書は受理されたが現状では点数不足でビザの発行はできない。カナダの受け入れ条件が変わるまで待つように言われた。

ただしスポンサーがつけば他の条件が軽くなりビザ発行の可能性が大きくなるということだった。

政裕の場合は技術移住の範疇には入り、この時点ではその優先順位が高くないといわれ難関が予想された。

晴子は何がきっかけだったか、カナダにペンフレンドが居て文通していたことがある。彼女は彼にカナダ移住のスポンサーを探していることを伝えた。

その時代、Eメールとかファックスもなく手紙だった。その往復に一か月ぐらいかかった。移住の目的地はトロントに決めていた。

そのペンフレンドはアルバータ州のカルガリーでトロントから時差二時間の距離であるが彼から政裕の専門である化学技術者に関係ありそうなトロントの数ページのイエローページが送られてきた。

政裕はデパートで簡易タイプライターを買い英文で履歴書を打ち、名の知れた化学会社に手当たり次第求職の手紙を送った。ほとんど返事がなかった。

来ても、現在採用していないからファイルに入れておくになっていた。大手の化学会社がわけもわからぬ外国人を移住スポンサーしてまで雇うわけがない。考えが甘かった。

戦術を変え天龍実業で経験のあるFRP関係の会社に絞り再び同じ求人作業を開始した。

同じように芳しい結果が得られず諦めていた。