知人の応援団

五月になって、たて続けに二人から食事の誘いを受けた。

その一人は、営業の大ベテランの現役で八十五歳。現在も現役で勤務している。私の一番尊敬しているチャーミングな綺麗な女性である。背筋はピッと立っており凛とした趣で、五十歳でテニスを始め、現在も続けている。

みんなの見本となってテレビに出たこともある魅力ある女性で、彼女が食事中に言ったフレーズがある。私は、それを聞いて、体のケアさえを怠らなければ高齢期を豊かに過ごすことが出来、彼女のように年齢を重ねても魅力のある者になれると思った。そのフレーズは、

「八十歳までは、あんまり変わらず、それを過ぎると年齢を感じるわ」

八十五歳の現在も、何不自由なく、階段の上り下りをしており、現役の者と変わりはない。私は、その時、八十歳までは何らかの仕事はしようと決心したことを覚えている。彼女の明るい張りのある声で「頑張ってね。合格したら、また食事しましょう」の応援の声に勇気付けられた。

もう一人は、私の同僚で定年後、別保険会社に勤め、何かの役席を務めている。彼が暇なときは、時間にかまわず電話してきて、たわいのない話をして終わる。

私の社労士受験をバカにして、電話では、「受かる訳がないから早くやめた方が良い」といつも言う。しかし、その都度、学習状況を聞いて、その進捗状況を心配してくれる。食事の払いはいつも私の方だ。今回もそうだ。

しかし、私の社労士受験を一番喜んでくれている一人でもある。「失敗しても根気よく情熱を燃やす」ことへの一番の理解者かもしれない。いつも、彼の話の最後は、「挑戦し続ければ、いつかは受かる。合格より挑戦する気持ちが大切だ」と、応援のエールを送ってくれる。

挑戦し続ければ、大学のワンダーフォーゲル部で「山」に明け暮れた私は、一歩でも進めばその分頂上に近くなり、いつかは頂上にたどり着けることを体で理解している。毎日一歩一歩学習する受験への努力は、「山」より厳しいこともある。

受験勉強は約四十年振りであるが、当時のプレッシャーと今とは違う。以前は暗い感じのプレッシャーだったが、今は明るい感じのプレッシャーで自分一人が大海にボートを乗り出す冒険者の様な感じで健全な若者である。毎日、頑張ることで日に日に若さを取り戻している。

明日へ踏み出す勇気は、自ら作り出す勇気もあれば、知友人から得られる勇気もある。努力による勇気の発露もあれば、今回のような外からの助言による勇気の増強もあり、勇気は、多くの要素によって醸し出される。

病気持ちにとっては、声を聞くだけで、顔を見るだけで、ハガキを見るだけで何倍もの勇気を貰える。選抜高校野球の応援団を見ると、応援の凄まじさを感じるが、応援にはこのような元気な応援もあれば、心の中で人知れず応援する場合もある。どのような応援も人間は「気」で感じることが出来る。

人は、このような「気」の応援があれば、どんな時でも最後まで頑張ることが出来る。頑張りは「気力」の持続である。