定年後は学習に最適

定年後は、学習するには最適な時期である。朝から晩まで一心不乱に学習できる。今度こそは、失敗できない。家族は、部屋に籠ったままのそんな気構えの私を「来年もまだやるのかしら」と冷ややかな思いで見ていることを私は知っている。

私の頭が上がらない長女は、結婚して子も授かっている。長女とは今でもしっくりいかない。許して欲しいのだが言葉にならない。

次女は、まだまだで相手がいる模様でもない。

妻からは、怖い声で、

「良いわね。よく聞くのよ。三十歳になるまでに結婚しないと家に入れないから」

妻は、本気だ。言い出したら必ず実行する。

私と似た頑固者だ。次女は、聞いているのかいないのか呑気に生活している。妻は、私に

「結婚しなければ、荷物は全部外に放り投げてやるの」

「おいおい、それはやり過ぎだよ」

と言いたいが、妻の気性は良く知っている。言い出したら実行あるのみ。まあ、次女が結婚してくれれば良いだけだから。

新年度を迎えた。今年の八月が試験日。今回こそは、失敗はできない。正月から休みなく猛特訓の毎日だった。通信教育のスケジュールに合わせて、学習した。学習の為の本も読んだ。「速読法」「過去問解読法」全てが若年者向きに記載されている。高齢期は持続力で勝つしかない。忘却とのマラソンである。

何度も何度も同じところを読み返し、忘れたら又読む。若者の二、三倍の時間を費やして勝つしかないのだ。その為には、何にも邪魔されない時間が必要だ。定年は、その為には、「持って来い」の時期であり、残念ながら目標が達成できなくても、その分の見返りは必ずある。

どうせ定年後の行為は「無償の行為」だから、「頑張っているね」と思われるだけでも見返りである。高齢期の努力は、若者の努力と違い多くの打ち破らねばならない壁があり、その壁の数は人により異なり、厚さも違う。

その多くは健康である。健康寿命は世界でトップであり、医療水準の高さは世界に誇るものがある。医療水準の高さは、「脳梗塞」を経験し、死の淵迄行った経験のある私が良く知っている。

病院での洗練された対応。質の高い洗練された対応は、日本人ならではの時代を乗り越えた「おもてなし文化」の集積として表されている。定年後は、日本の医療を信じて、行けるところまで行くのみであり、行こうとする勇気こそ定年後は必要であり、定年後は自分自身を試されている壁があり、私は、この壁を乗り越えることに全力を傾けた。