中学生から高校生の時代を振り返ると、当時の環境がどれだけ恵まれていたのかが分かります。

中学一年生の頃、担任の教師にナルコレプシーの診断がついたことを報告した時のことは、今でもよく覚えています。

心配されるのか? 学校側はどのように対応すればいいか?といった言葉が返ってくるのかと考え、様々な不安が生まれて尽きることはありませんでした。

しかし、担任からは「寝ちゃっているのは病気だったのか。でも、私は他の生徒と同じように接します。寝ていたらその場で起こします」と言われました。「他の生徒と同じように接する」という一言がとても心に響きました。

言葉の通り、授業中に寝ていたら、私のもみあげを引っ張って起こされ(めちゃくちゃ痛い)、教室の後ろに立って授業を受けさせられることもあり、皆が寝ているような校長の話でも周りで寝ている皆と同じように起こされました。さらに、部活の試合中につまらないミスをすると「起きろ!!」と言われたこともありました。

当時は、病気なのだから仕方ないだろ、今のは病気と関係ないだろと思うこともありました。しかし、今だから分かることがあります。病気だから寝かせてやれというのは、どんな人間にでもできることだと思います。これはナルコレプシーという病気に対する接し方だからだと考えています。

病気があっても「他の生徒と同じように接する」という、厳しいように聞こえる言葉の裏には、一人の人として私と向き合い接するという思いがあったのだと思います。また、このような接し方が、私にとって本当に必要なものであったと言い切れます。たくさん叱られましたが、それ以上にいつも支えていただきました。言葉では伝えきれない感謝でいっぱいです。

そして、忘れちゃいけないのが友人の存在です。「まあ、お前だからしかたなくね?」「うわ、このタイミングで寝たよ(笑)」等、心ない言葉に聞こえる一言に何度も救われてきました。友人との関係性こそ言葉に表しづらいですが、私という人と接してくれていると感じられます。だからこそ、友人の隣で堂々と寝ていられました。心の底から感謝しています。

中一の担任に病気があっても他の生徒と変わらない(病気の有無は関係のない)接し方をされる一方で、友人からはネタにされたり面白がられイジられました。この二つは表面だけ見ると正反対の接し方です。

しかし、教師と私、友人と私、お互いの立場が違えば接し方は必ず異なってきます。共通して言えることは、私という人と向き合ってくれていたということです。中高生の多感な時期に、このような恩師、仲間と過ごせたのはとても幸せなことで、中学高校時代で私の周りにいた仲間は私の一生涯の宝物です。

※本記事は、2021年8月刊行の書籍『ナルコレプシーと生きる ー向き合い方から在り方へー』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。