葬儀の際、棺に納められた父を最初に見た時、私はその美しさに息を呑んだ。

色とりどりの花に囲まれて静かに横たわる父。子供たちに繰り返し読んで聞かせた白雪姫の絵本の1ページを彷彿させる光景であった。

生きている人間が持つ欲や穢けがれや、情念のようなものから一切解放された清々しさ。我が父ながらその姿は神々しく仏様のようだった。

その時きっとまだその辺りにふわふわ浮遊して居そうな父の魂に私は自然と約束していた。

「パパ安心してね。ママもパパのように綺麗な姿でお花の中に眠らせてあげるからね。これから、もっと大切にして、パパに代わって幸せにしてあげるからね。私が棺に入る時も二人に負けないくらい美しい姿でいられるよう頑張るから見守っていてね」

人は本当に死ぬ。最後はすべてを脱ぎ去って、生まれたままの姿になって愛する人とお別れをする。父はそんな当たり前の自然の摂理を、自分の死を通して私や多感な年ごろの孫達の胸に強烈に焼き付けてくれた。

私は死を意識するとき、いつもあの沢山の花々に囲まれた父の白い顔を思い出す。私もあんなさっぱりとした無垢な顔でこの世を去りたい。

そのために、思い残すことが無いようしっかり生きたい。良い時間を大好きな人と過ごし、思いを残さずすっきりとした気持ちでこの世を去りたい。その思いが今の私の生きる支えとなっている。

母方の祖母の命日は私の姉の誕生日。夫の弟は、妹の誕生日に突然病で亡くなった。誕生日と命日。生と死を考えさせられる大切な日。愛する人の死を避けることが出来ないのならば、せめてその死を生かしたい。自分が生きて死ぬことを、次の世代に残したい。死を考えるところから生きることを始めたい。

愛別離苦あいべつりく 愛する者との別離の辛さ。生き別れたり、死に別れたりする苦痛や悲しみ

※本記事は、2020年6月刊行の書籍『ママ、遺書かきました』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。