人生論

この駄々の我儘のしわ寄せを受けるのは、家族である。

何度も呆れられたり、巻き込んだり、時に心配をかけたり、反対をされたりとあったが、それでも挑戦する者を応援し支えてくれるのも、また家族なのである。

その家族を支えるものの1つにお金がある。

以前の上司から「お金ほど汚いものは無い。しかし、命の次に大事なものである」と教わった。

私たちは、生きていかなければならない。生きるとは、日本国憲法第25条第1項「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と定められている通り、文化的な生活ができることを意味する。そのためには、お金が必要である。

お金の話をすると、嫌らしく、醜く見る人もいるが、所詮綺麗事である。

私が会社員をしていた時、業務でお金を扱うことが多々あった。その中で、約束手形の決済や小切手など、期日にお金がないと不渡りとなり、企業の信用失墜と倒産に追い込まれてしまう場合があった。

それは個人でも同様であり、入ってくるお金以上に浪費してしまうと、借入れをしなければ、生活ができない。借金を抱え、返済不能となった末は自己破産である。

現代社会において、企業も個人もお金とは切っても切れないものなのである。そして、前述した通り、お金は生活していく上で必要不可欠な存在であり、お金があるかどうかによって、人の肉体的・精神的安定をもたらし、選択の幅を広げてくれるのである。