ポケベル

中学を卒業するまで、担任はリーゼントのままだった。卒業ぎりぎりまで、私は担任にかわいがられながらも怒られ続けた。

当時は携帯電話がない時代。ポケベルが流行っており、家の電話を使うと怒られるので、どうしてもほしかった。

購入時に親のサインが必要だったが、母がサインしてくれるとも思えず、自分でサインした。そして確認のために電話会社が親に電話するのだが、これは友達に親役をお願いした。

やっとの思いで購入した、キティちゃん柄のポケベル。嬉しくて、購入翌日に学校に持って行った。席が1つ後ろだったゆうすけに自慢気に見せると、

「めっちゃかわいいやん! ちょっと見せて!」

彼にポケベルを手渡すと、チャイムが鳴り、リーゼントがやってきた。

朝の健康観察をしていると、「♪ピピピピ」と後ろからベルが鳴るではないか。私は振り返ると、パニック状態のゆうすけがいた。もちろん即没収。苦労して手に入れたそのキティちゃんのポケベルと過ごせたのは、たった一晩だけだった。大人になった今も彼と交流があり、あのポケベル返せ!! と笑いのネタになっている。

そんなアホの代表みたいなゆうすけだが、本当にいいやつだった。ある日、夜道を徘徊していると、シンナーを吸っている集団があった。顔見知りだったので、「なにそれ~おもしろそう!」と言った私を引っ張って違う場所に連れて行き、「あれはやめとけ」と忠告してくれた。

何も怖いことがなかった時代。あの時彼が止めてくれていなかったら、今の私は薬づけだろうか。この頃の私はどうやったら少しでも家から出られるだろうとか、学校では何かおもしろいことをやってやろうとか、そういう次元のことばかり考えていたので、試験なんてまるで興味がなかった。

授業中もそんな調子なので、自ずと成績は下がっていく。中学3年生になると、通知表に1が出現した。国語と理科。嫌いだった記憶はある。一方で数学は5を取っていた。通知表で1と5を同時に取ったことがある人に私は未だかつて会ったことがない。数学が好きだったこともあるだろうが、担当教員に対する好き嫌いが大きかったのではないかと思う。

先生次第で授業を聞くかどうか判断する、そういう子どもだったのだ。いい成績を取ると、その教科の先生に服従しているような感覚になり、(しゃく)だった。大人の操り人形になりたくなかったのだ。定期試験では70人中60番台に突入していた。

※本記事は、2021年5月刊行の書籍『腐ったみかんが医者になった日』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。