私立は滑り止めに受験したが、見事に落ちた。滑り止めに落ちたらもう本命のA高校しかない。

しかもギリギリのラインで受験するわけだからたまったものじゃない。前日、ストレスからか耳鳴りがして、耳鼻科に行くなんてハプニングもあった。こうして、背水の陣でA高校の受験に挑んだ。受験番号は56番。筆記はそこそこ手応えがあったので少し自信はあったが、ギリギリの内申点である。発表当日、A高校を受験した仲間たちと一緒に見に行く。

「56、56」と呟きながら掲示板を見上げる。

‹56番畑中彰吾›

「いっっやったぁー!!」と声を上げた。ガッツポーズも出た。その頃携帯電話もないからすぐに喜びを伝えることはできない。興奮したし、喜びもひとしおである。しかし、A高校を落ちた受験生もいる。確か落ちた子は4〜5人いたと思う。みんな、うなだれていた。

帰り道は黙って中学校に報告しに行った。K先生に報告すると先生は「そうか」と一言。目に薄っすら涙が出ていた。先生もドキドキだったんだろうなあ。K先生は僕が受かるとは思ってなかったんだと思う。たぶん奇跡なんだろうな。

僕は何だかんだギリギリの状態を覆す運命を持ち合わせているのか、悪運が強いと言われる。いつも人生の際を歩いているようにしか思えてならない。だけどA高校が受かったときはほんと嬉しかった。K先生も普段から態度には出さなかったけれど、あのとき涙は忘れられない。

【青春真っ只中】脱線

高校生のときに小児科から内科の先生に変えてもらった。当時、東京女子医大リウマチ痛風センターの教授だったアメリカ帰りのM教授。それまでステロイドを20ミリグラム飲んでいたのが、あっという間に12.5ミリグラムに減らされた。そして、病気はしばらく落ち着くことになる。小児科の頃のあの量はなんだったんだと母と話していた。

ちなみに、M教授はとても権威ある優秀な専門医だ。膠原病のスペシャリストで、ウィキペディアで名前を検索すると出てくる。東京医科歯科大学病院の学長にまで就任した。そんな先生にメルアドを教えてもらって、診察に関係ないどうでもいいようなメールを送っていた。そんな話を東京医科歯科大学病院の看護師さんに話したら、「なんて恐れ多いことしているの?」と言われた。

まあ、30年も患者をしていたからそのくらいはね。でも、下らないことでメールを送るなと怒られたこともあった。M教授は2018年3月末で東京医科歯科大学病院を退官し、現在同大学の名誉教授だ。