新宿西口は超高層ビル発祥の地

平成時代に入ってから、東京の都心部や山手線のターミナル駅周辺では超高層ビルが続々と起ち上がっていますが、それに先だって、昭和時代に超高層ビル群が誕生したのは新宿西口でした。そこは、淀橋浄水場があったところで、七十年余りの長い間、都民に水道水を供給していた場所でした。

昭和四十(1965)年浄水場が他所へ移転して、東京には珍しく纏まった広大な空き地が出来たので、昭和五十二(1977)年東京では初めての超高層ビル群の建設が始まりました。当時の東京の市街地には、容積率制限があったため高層ビルは少なく、中低層ビルが殆どでしたから、西新宿地区に日本で初めて超高層オフィスビルが建つというので大いに注目を集めました。

何本かの超高層ビルが姿を現すと、人々から「のっぽビル」の愛称で呼ばれ、それが話題になった程です。その後、昭和六十(1985)年までに淀橋浄水場跡地に十四本の超高層層ビルが次々と起ち上がり、平成三(1991)年超高層ビル群の中に、一際大きくて背の高い東京都庁舎が完成しました。

下町の有楽町にあった東京都庁が山の手の新宿に引っ越してきたので、以後、新宿西口の超高層ビル街は新宿新都心と呼ばれることになります。東京都庁の二棟の巨大なビル(平成二〈1990〉年竣工)は、超高層ビル群の中でも高さと大きさで群を抜いていて、西新宿のランドマークになりました。

丹下健三の設計になる建物本体の構造と建物表面のデザインは古典的な重厚感があり、それでいてモダンさを失わない、不思議なバランスを保っています。新宿西口の超高層ビル群のビルは、形態と色彩はそれぞれ異なって個性的ですが、ビルの高さはほぼ同じで、一定の間隔で配置されているので、超高層ビル街区は全体として整然としています。

そして、それらのビルの殆どは、新宿西口中央通りと、それに並行して走る方南通りに面して建てられましたので、落ち着きのある超高層ビルの街路が生まれました。都庁ビルを含む新宿西口のこの超高層ビル街区は、東の「丸ノ内・大手町」街区に比べれば規模は小さいですが、地方行政機能と民間業務機能を一カ所にコンパクトに纏めた、日本でも珍しい街区です。

その結果、新宿は宿場街から出発して都内では何でもある新都心に発展したと言われています。

※本記事は、2021年5月刊行の書籍『東京の街を歩いてみると』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。