学ぶことには、努力を要する。日々努力することによって努力は実るのである。以前、私は「努力は裏切らないと考えている」という話をした際、「それを言えるのは成功したからだ」という言葉が返ってきたことがあった。私は、その返答に驚愕した。努力について、どう考えるかは各々の見解というものが存在するだろう。

私が考える努力とは、「ある目的を達成するために気を抜かずに力を尽くして励むこと」である。ここでも目的は重要であり、それが明確でないものは、どのように努力するのか分からないのである。私は目的があり、達成したいがために、努力をする他無かった。

その結果、社労士の資格取得や「小牧社会保険労務士事務所」の設立、「有限会社レイバー」の設立、従業員を雇用し、自分の力で稼ぐ事という当初の目的を果たすことができている。目的無くして、努力をすることはできないということだけは、事実であると考える。

「継続は力なり」という言葉は誰もが知っているであろう。しかし、実際に実行するには、己の心との葛藤があるため苦難を要する。例えば、あることに挑戦することを決めたとしよう。初日は実施するだろう。しかし、次の日は、明日2倍やろうと自分の中で言い訳を探し、止めようとする。

その瞬間、継続は途切れるのである。しかし、私は止めた翌日から、改めて始めてもいいと思う。「継続は力なり」という言葉と意味が違うのでは、と思う人もいるかもしれないが、少しずつでよいから継続するという行為そのものが、重要ではないかと考えるからだ。

そうすることによって、「自分は継続してできている」という満足感が充満する。この繰り返しを行うことによって、私は幾度も立ち塞がってきた壁を乗り越えてきた。大多数の人間は、1つのことをやり終えると一息する。そして安らぎと満足感で心と体が満たされるであろう。

しかし、私の場合は、時間の経過とともに心が空虚となってしまう。そしていま、未だ満たされていない心は、次の目的のために挑戦したいと騒ぎ出す。欲求を満たすための壁は何層にもなり、私の道を塞ごうとする。この壁を打ち砕くか・乗り越えるか、手法は様々であるが、その先に何があるのか常に見たいと思う。自分でもなんて貪欲なのだろうかと思う。

この欲求は、幼い頃から変わらない私の長所なのかもしれない。駄々をこねて得てはいないけれど、駄々をこねて突き進むのである。