稔にとっては、こうなったらこっちのものだった。自身が所属する英語クラブに、口八丁手八丁でどうにか和枝を入部させ、しばらくしてお茶に誘った。告白というよりも、自分との将来を見据えて付き合ってほしいというプレゼンのためだ。

その舞台となった喫茶店は新宿にある。一杯の珈琲が、当時の稔の二日分の食費に匹敵するような高級店だ。ちなみに和枝は、珈琲が好きだとは一言も言っていない。稔が勝手に、高級な珈琲は大人が嗜むものというイメージを持ち、お嬢様を口説くには大人の余裕を見せつける必要があると判断した結果、選んだ店だ。

稔は一張羅を着こみ、緊張しながらも、堂々と大人の余裕を見せつけた。得意の豊富な知識の披露をしつつも、『結婚したら』という二人の未来を連想させる一言を入れるのも忘れていない。気の利いた冗談も『この人なら』と和枝の心を打った。つもりだった。

和枝の目には、砂糖とミルクを入れれば良いものを、苦すぎるのか、眉間にしわを寄せながら、珈琲をちびちびとすする、余裕がない男が映っていた。

しかも付き合ってもいないのに『結婚したら』と勝手に言い出している。正直な感想は「何、コイツ?」だ。しかし人は何が心に刺さるのか分からない。この二人の場合、稔が一生懸命格好をつけているのが痛いほど伝わって、むしろ格好がついていないのが、功を奏した。

目の前の男が貧しいのは火を見るよりも明らかだ。和枝は心配のあまり、それから毎日稔のために重箱にお弁当を作って持って行き、昼と夜の食事に困らないようにした。それだけでは飽き足らず、部屋の掃除をしたり洗濯をしたりと甲斐甲斐しく面倒を見た。和枝は苦労を買い始めてしまったのだ。稔は、なんとか付き合うところまで漕ぎつけた挙句、そこまでしてもらっていながらも、焼きもち焼きだった。