「本日、定年になりました。定年を迎えることが出来たのはひとえに皆さんのおかげと感謝しています。定年後は、皆さんに恥じないように生きていきたいと思います。本日は、本当にありがとうございました」

話すと、十五秒と掛からなかった。これで「感謝の気持ち」を伝えるには充分だった。遠方からも、はがきや手紙が来た。手紙の中には当時の写真も入っていた。そんな手紙やはがきを読むと当時を懐かしむことが出来て、嬉しいひと時だった。

家に帰ると、妻が拍手で私を迎えてくれた。その夜の赤飯は美味しく頂き、ちょっぴり涙が出た。その時の写真が今でもリビングに飾ってある。入社した時、フレッシュな気持ちで自分の有りっ丈の力をもって、その体力と情熱でまだ見ぬ将来に向かってぶち当たるイノシシの様な気持ちで入社した。

その時のゴールは間違いなく「定年」だった。入社した時は、人脈もなく財産もなし、三十五年後の現在、定年になって何が変わったのだろうか。家族持ちになり、二人の娘に恵まれ、自宅も持った。人脈としての知友人は、百人は下らないであろう。一番、何が変わったか気になるのは、体力と情熱である。

体力は、持病がある身にとっては、若い時に比べ確かに突進力は無くなった。しかし、厳しい持病を持ちながら毎日、「何を行うか」。行い続ける持続力は若い時に比べて損色は無く、熟練度、経験を考慮すると、それ以上ではないかと思われる。情熱についても、若い時の目標を「定年」とすると遠い目標であり、定年前は確かな目標が眼前にあり、情熱を燃やさざるを得ない。

体力、情熱とも年齢により、その有り様は変わるが、「量」、「質」の法則と同じで、若い時は「量」で押しまくり、定年時には「質」で対応する。若い時のE(エネルギー)と定年時のE(エネルギー)は変わらない。これは、私自身の現状から見て、物理法則と生身の定年時E(エネルギー)の有り様は、同等と言えるだろう。

高齢期において高度に「質」が上がれば、若い時よりE(エネルギー)が上がる。その為に、多くの人が高齢期にいい仕事をし、後世に残る文化遺産も多い。団塊の世代は、若い時には「量」としての「力」任せに大学紛争等を起こし時代を切り開いてきた。お騒がせ世代である。

これからは、それ以上に「質」で社会に貢献し、より良い日本の明日を構築するための一助になる様に努力しなければならない。人生百年時代、まだまだ時間は、たっぷりある。