第一章 宇宙開闢かいびゃくの歌

「はて、舞台劇の役名がそのまま芸名とは。日本でも似たような事例がありますが、ここインドでお目にかかるとは思いませんでした」

笹野は、かつて木下惠介監督の「善魔」で映画デビューした三國連太郎の逸話を思い浮かべていた。彼も確か役名をそのまま、芸名にしてしまった走りである。

「日本でのことは関係ない。私の名は婆須槃頭だ。それ以上のことは聞かないでほしい。私の取材はこの映画の中身だけに限らせてもらおう。そのほうがあなたがたの為にもなる」

男の表情がにわかに険しくなった。笹野は男のその表情に揺るぎのない自己肯定と、他者の介入を許さない極めて峻厳(しゅんげん)な意思を嗅ぎ取った。

男の全身からオーラとおぼしきものが現れだしたと感じたのはその時である。笹野だけでなく内山も同様だったようで、彼もにわかに男を見る表情を変えだした。男の黄金色の甲冑が、見る見る映画の被写体として完璧なものに変貌していくのさえ予感できる、それは笹野自身も信じられない未知の感覚だった。

「では婆須槃頭(バスバンズ)さん。あなたがこのインド映画に主演できるようになった経緯を教えてください」

内山の問いかけに男は、

「まず、私がインドに住んでいたこと。インドの事物に明るかったこと。それと、過去に一度も映画出演がなかったこととでも言っておきますか。イズレ、コノエイガノカンセイジニワカルコトデスヨ」

最後の一言はやや捨て鉢のように英語で発せられた。笹野が満を持していたかのように質問した。

「ではもうひとつお尋ねいたします。このインド映画を監督するのが日本人であるということに我々は非常に興味を引かれました。かって日本人はインド映画にスタッフとして参加したことはありますが、監督というのはあまり例がない。しかも、主演も日本人とは。このことについて、あなたはどう思われますか」

「私の答にあなたはどう期待されておられるのか。また、どう答えればご満足なのか。いささか不躾(ぶしつけ)に思えますな。はっきり言いましょう。この映画に日本人が関わることなど問題ではない。ただ成り行きによってそう成立したとご理解されればそれで結構。インドと日本の結びつきなどという詮索は、いらぬ(こう)いというものです」

あまりに見事な切り返しに、笹野は黙らざるを得なかった。一人のインド人の男性スタッフが男に撮影の開始を告げにやって来た。男はスタッフと短い会話をし始めたが、笹野たちには明らかにそれらは英語ではなく、ベンガル語で語られていたことが判った。