一方では情熱的であり、他方では冷め切ってもいる。百合の世界に絡め取られてしまっているような立場で彼女と話をしていたり、そうかと思うとそのような二人の関係を冷ややかに眺めている自己の立場を自覚している時もある。

『何となく感じがいいな』、『好きだよ』、『愛してる』といった類の言葉を心の中でつぶやいたり、臆面もなく実際に使ったりして百合と語り合っている。そうかと思うと、そのような言葉がもたらす面映ゆさや、軽薄と思う自身の羞恥心で我に返る。

するとそれ以上の発言を急に取りやめ、百合の世界に組み入れられてしまってはならじと身を引き離そうとする。しかしそうはならず、百合との話し合いの場に再び引き戻されてしまう。

脱しようとする意志があるはずなのにはたらかない。そのようなまごついた状態が続いているようだと感じ取っているうちにやっと気づいた。

来栖が与かり知らないところで生前の百合は彼の立ち居振る舞いを正確に観察していたので、このような夢の中でも相手の言うことを理解し尽しているのだ。彼女に映る自分と、本来の自分とが距離を置いて相対し、互いに往復運動を無限にし合っているようなものではないか。

来栖ははっと我に返る。そのように思った時は夢から覚めていた。

覚めた後では死や熱愛、そして愛欲にまつわる言葉を夢の中では空々しく、単なる抽象概念として用いただけのようでもある。そうかと思えばこれらの言葉が喚起する具体的な感情の機微にまで踏み込んで百合と肌を寄せ合って語り合ったような気もする。

夢の中で心を寄せ合い、通じ合えたと確信できた時があったと想い起こすと、醒めてしまったあとなのに、その余韻に浸りたいとまで百合の世界にはまり込んだ自分がいる。

それとも夢の中で出会った百合のほうが目覚めた後の彼をさらに追いかけてくるということなのか。そのような心理状態になったままで、本当に目覚めたのか、まだ夢うつつの中にいるのか、全く確かめようがない。

そして無重力の中を浮遊しているような自己にやっと気づくありさまだ。そのような時には逆に「しっかりしろよ!」と自らを励まし、百合というすでに死んでしまっている人間の彼自身への影響力を他愛ないものとしてしまおうとする考えが浮かぶこともあった。

そして必死になって、「自分は覚醒している」と自身で励ましながら独り立ちしようともがいている。