草のゆかり

紫の上二十四歳の雪の日の夕暮れ、光源氏と紫の上は、(わらわ)たちが庭で雪遊びをするのを眺めながら、よもやま話をする。やがて話題は、光源氏がこれまで付き合いのあった女性たちのことになった。光源氏は、その年の三月に亡くなられた藤壺について、次のように語った。

光源氏「私などからは遠い存在でしたから、詳しいご様子を拝見したわけではありませんが、それでも何かにつけてご相談していました。相談のしがいがあって、ちょっとした事柄でもうまく処理されていました。やさしく、控えめでありながら、奥深い趣のあるところは、類まれな方だと思います。あなたこそ、何といっても『紫のゆゑ』(藤壺のゆかりの方)ですから、よく似ておられますが、意地を張られるのが(わずら)わしくて、残念なことです」

紫の上は、十歳のころから、自分は何のゆかりなのだろうかと、疑問を抱き続けてきたが、光源氏の「紫のゆゑ」の一言を聞いた瞬間、「草のゆかり」の答えを見つけた。それと同時に、紫の上の胸中を、さまざまな思いがかけめぐった。

光源氏が藤壺に思いを寄せていたことは間違いない。そして、そのゆかりである自分は、藤壺の形代としてここにいるのだ。それにしても、藤壺は遠い存在であったと言いながら、光源氏はずいぶん立ち入ったことを言っている。

二人は相当深い関係にあったのではないか。藤壺が亡くなられたとき、光源氏は一日中念誦堂(ねんずどう)に籠っていたし、悲嘆ぶりは尋常ではなかった。帝(冷泉帝)の母宮は藤壺である。世間では、帝と光源氏とは瓜二つのように似ていると噂されている。

もしや、光源氏は、帝(桐壺帝)の后(藤壺)を犯すという大罪を犯したのではないか。その結果生まれた御子が、帝の位におられる。紫の上は、考えれば考えるほど恐ろしくなってきた。

その夜、光源氏が寝床に入ると、夢ともなく藤壺が現れて、ひどく恨んでおられる様子で、

「決して漏らさないと言っておられたのに、あなたが漏らされたせいで、私の浮名があらわになってしまって、恥ずかしくてなりません。死後の世界で苦しい目に遭っているうえに、つらいことです」

と言われる。

右に掲げた光源氏の言葉の中に、藤壺の浮名に関することは一見して見当たらないが、「紫のゆゑ」の一言で紫の上が藤壺と光源氏の間の秘密を察知したことに思い至れば、藤壺が恨み言を言われる理由を、明瞭に理解することができる。

決して漏れ出てはならない秘密も、ほんのちょっとした不注意で露顕するものである。

(1) 知らねども武蔵野といへばかこたれぬよしやさこそは紫のゆゑ

(2) 墨つきのいとことなるを取りて見ゐたまへり