「おお。すごい、すご〜い」

「ほら、陽菜。落ち着けって。ソースがついちゃうだろう」

わたしはささやかな偉業を成し遂げだ。たとえそれが休みを取るという、だれかにとってはありふれた行為だとしても。陽菜は小躍りしながら、入場券を宝物のように抱きしめている。今や夕食なんてそっちのけ。多恵はわたしに感心しきりだ。

「よく連休がとれたわね、あなた」

「まあな」

はにかんで答えたが、詳細はこうだ。後輩に飯をおごることを確約し、医局長には彼の娘が欲しがる限定ぬいぐるみを買ってくる密約を結び、女医の面々には美味しい土産を差し入れることで買収した。

「これで休みが取れないと一家離散となり、業務に悪影響が出ます」

最後の砦、川崎教授には針小棒大(しんしょうぼうだい)気味に力説し、やっとかっとつかみとった有給休暇だった。ここまでしないと休みがとれないものなのかと、途中から投げやりになったものだ。

「これで陽菜はパパを赦してくれるか」

「うん、パパ大好き」

陽菜は向日葵のような笑顔を咲かせた。この笑顔のためなら、どんなものでも投げ出せる。多恵は喜ぶ陽菜とわたしを見比べながら満足そうだ。

「陽菜はパパとママ、どっちが好きなの」

「ママ」

陽菜の返答は清々しいくらいに、ためらいは微塵もなかった。

「ふふ、日頃の行いね」

聞き間違いかと首を(ひね)るわたしに、多恵は当然といった笑みを浮かべていた。それからというもの、陽菜の浮かれ具合は異様なほどだった。多恵と一緒にまわりの友達や母親から情報を集め、それらをもとに、いかにすれば効率よく乗り物を制覇できるか日夜研究した。その熱意や努力を勉学に向けてくれたなら、学力もうなぎ登りだろうに。なかなか理想と現実は相容れない。

旅行の日まで指折り数える娘の姿を見るにつけ、父親でよかったという実感がしみじみと湧いてくる。試しに作ってみたカウントダウンカレンダーも好評で、父と夫の株を上げることができた。カレンダーのまえに体育座りして、にへらとポニーテールを揺らしながら笑う娘を目撃した際には、すこし心配したくらいである。

ここまで喜んでくれるのなら、早く連れて行ってあげるんだったな。わたしは素直に申しわけなく思った。これまで仕事漬けで、旅行らしい旅行は皆無だった。今回の旅行で思いっきり羽を伸ばそう。そしてカレンダーがめくられ、学会も大盛況のうちに幕が下り、いよいよ旅行まで一週間を切った。希望に満ちあふれる日々。それが突如、終焉を迎えることになる。

※本記事は、2021年4月刊行の書籍『門をくぐる』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。