1章 自然の営みと自然災害

自然災害の激甚化と予見

無謀で無計画な都市河川が降雨災害を生む

自然災害の発生は、人間が直接指示を出し操作して起こすものではない。しかし、人間の果てしない欲望や節度のない行為が「地球温暖化」を引き起し、災害の原因に繋げていることは間違いない。

地球側に立ってみると、これだけ安定した美しい環境を提供しているのに、あまりにも節操のない自分勝手なわがままを続ける人間どもに憤慨し、そのお仕置きと教訓として自然災害を送り出しているのではないかとも思える。

自然災害にはそれぞれに種類や規模があって、地球上の生物に多大な影響を与えてきた。

古人は後世のために、何らかの形でその時の記録と対応の歴史を残してくれている。それは、同じ災害が繰り返されることを後世に認識させるための古人の知恵である。

有史以来、天変地異が繰り返されてきたが、今も昔も変わらないのが一年を通じて頻繁に繰り返されている降雨災害である。

水の持つ性質によって、高きより低きに流れて地球の表面を穿(うが)ち自然に川ができた。降雨量によって河川の下流は大きく左右に移動し、この暴れ川の流量調節さえも自動で行っていた。

しかしその自然の作用に人間が手を加え、暴れ川を固定するために造ったのが堤防である。それが「土堤」の始まりであり、人力でできた簡易な盛土であった。

その盛土は高さも低く集積水が増量するとすぐに堤防の高さを越えて溢れ出していた(越水)、その時には堤防の外側も水嵩が上がっていて越水した水と堤防の外側水面がすぐに同調して同一水面を造り越水が危険なエネルギーに変わることはなかった。

故に昔から堤防は毎年のように越水し氾濫していたが、現在のような被害はなかった。

また、河川の下流域は遊水地域(浸水地)として農業用地や蓮畑として確保し、越水を前提にした地域開発がなされていた。

しかし、高度成長期に入り、浸水地域である低い土地が安価であることに目を付けて宅地開発が一気に進んだ。その結果、遊水地域がなくなり周囲の堤防も嵩上げされ、現在の無謀ともいえる無計画極まりない都市河川ができ上がってしまった。

予測の正確性を上げて先手を打たないと古人の知恵が無駄になる

古人は金を掛けずに河川と共生していたが、時代が変わり、河川の本質、河川の役割、河川のあるべき姿、また想定される河川の未来を深読みせずに無計画に今の都市ができ上がってしまった。

さらにでき上がった都市は一面舗装され、工場ができれば地下水を汲み上げて地盤沈下が起こる、元々低地である所に浸透水もなくなり、更に地盤沈下が続いている。

また、山間部に行けば山裾は山と山が重なり沢になっている。その沢の下端を宅地造成して住宅を建てている。沢は山の頂上に向かって標高を上げていき、その起点は頂上の分水嶺まで登るのである。

その沢からそびえる山脈に降った雨水を全て下流に流す仕組みを自然が何万年も掛けて造り上げてきたのである。その自然の仕組みの最下流域に宅地を造成し、生活するのは無謀である。

降雨災害の後、上空から撮影した現況写真を見ると必ず沢の部分が被害を受けて流出している。自然の放出エネルギーは、環境破壊に準じてその規模も大きくなる傾向にある。

現在に生きる我々がこれらのメカニズムを理解し、予測の正確性を上げて先手を打たねば、後世にと古人が残してくれた過去の記録や対応の歴史は無駄で意味のないものになってしまう。

※本記事は、2020年5月刊行の書籍『国土崩壊 「土堤原則」の大罪』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。