多くの高齢男性が、好むと好まざるとにかかわらず、このような生き方をずっと続けてきました。

しかし、定年して地域や家庭での生活が始まると、急に自分自身で考え、決断しなければならないことが増えてきます。会社のように、決めてくれる人や相談する相手はいません。

何もしなければ放っておかれるだけで、会社のように自然に仕事が降ってくる(与えてもらえる)わけではない。会社では目標や役割があったのに、定年後は自分で考えて、自分で作ったり決めたりしなければ何もありません。会社とのあまりの違いに、とたんに困ってしまいます。

男性は家事や家のことを妻に依存してきただけでなく、会社でも組織や上司、部下に依存してきたわけで、個人で物事を判断し、決め、実行してきた経験に乏しいのです。

会社という共同体の中で、磨かれることがなかった思考と決断する力。これが、男性高齢者には高齢期の暮らしにおいて大きなハンデになります。

一方、女性は常に自分の頭で考え、判断し、決めることを続けてきました。

日々の食事の献立を決め、家計を預かってその中でやり繰りし、子どもの相談にのったり進路を一緒に考えたりする。面倒で難しい近所付き合いや親戚付き合いも、長年にわたって一手に引き受けてきています。

仕事に打ち込む主人に相談せずに(聞く耳を持ってもらえないので)、一人で考えて決断してきた実績があります。このような「能力差」が、男女の高齢期の暮らしぶりの差となっている面は否めません。

ここまで、時代の変遷を踏まえて「共同体」という視点から、高齢者の置かれている現状を見てきました。

昔にあったムラ社会の脱出、会社共同体への吸収、そして高齢期を前に属すべき共同体を失うまでの成り行き。共同体という視点から見たときの、男女の大きな差。特に、男性高齢者が持ち得ていない地域とのつながりや、自らの思考と決断で生活を組み立てる力。様々な問題が見えてきたはずです。