天気の穏やかな休日には街に出て、冬のシカゴの魅力を探した。グラント・パークの天然氷の青空リンクはスケートを楽しむ人々でいっぱいで、いつか見た映画のワンシーンのようでいつまでも飽きることなく見ていた。また、雪をかぶった冬木立の林越しに見る摩天楼はまるで一幅(いっぷく)の絵のように美しかった。

二年弱の期間ではあったが、シカゴの街、シカゴの人々、シカゴの空気感……、シカゴの全てが好きになっていた。

こうしてエンジョイしてきたアメリカの生活も、フィリピンのマニラへの転勤辞令が出て終わろうとしていた。フィリピンと言えばアジアでも貧しい国の部類だろうから、生活レベルもかなり下がるなという不安もあった。

しかし、「何事も経験だ」と気持ちを切り替え、転勤に向け荷物をまとめた。

シカゴでの最終勤務日からマニラへの出発日まで、会社の規定により一○日間の特別準備休暇が与えられた。正嗣はその半分はシカゴで、残りは日本で取ることにした。

今度はいつこの街にもどってこられるだろうか。

否、もうここへ来ることはないかもしれない。

そんな想いが頭の中で渦を巻く。

シカゴでの準備休暇の間も街へ出かけた。この先この街のことを忘れないように、これが最後これが最後と思いながら、見慣れた街の様子を脳裏に刻みつけた。

出発前日の午後四時過ぎに、正嗣はジョンハンコックセンターの展望フロアに昇った。シカゴの街に〈ありがとう〉と〈さようなら〉を言うために。何度ここに来たことだろう。

ここから見渡すシカゴの街並みやミシガン湖の風景はやはり最高だ。ゆっくりと時間をかけ東西南北三六〇度の大パノラマを堪能する。

三周目に入ったのは一時間半ほど経った頃であろうか。明かりが灯し出されたマリーナシティーが下に見える。西側には夕陽の逆光を浴びた街並みが広がる。その彼方に、例えがよくないが、汚物の上を飛び回る何匹ものハエのようなものが見えた。望遠鏡にクオーターコインを入れ覗いてみる。

ハエのように見えたのはオヘア空港上空を旋回する航空機だった。

「明日、俺はあそこから旅立つんだ」と正嗣は呟いた。

この時は二年近く住み慣れ親しんだシカゴを離れなければならない寂しさでいっぱいで、次の駐在先のマニラが生涯忘れることができない街になるとは夢にも思わなかった。