伊藤の第一印象では、李正真社長も恰幅のいい紳士だし、妻の権美子も才色兼備の女性に映った。

一方、李は、伊藤がキーマンとみて、如何に伊藤を籠絡するか妻の権美子と打ち合わせた。

伊藤は、庭のある立派な韓式料亭『梧林』のオンドルの部屋に案内された。梧林とは、青桐の林で、文字通り青い(若い)妓生(キーセン)の林を意味している。

すでに妓生たちは花札に興じ、来客を待ち構えていたが、客人が部屋に入るや否や、伊藤が最初に目を交わした十八、九の若い妓生が直ぐさま手を取り、上座に案内し、左横にそっと寄り添った。

夕食は、チョントンハンジョウシク(伝統的な韓定食)で、粳米(うるちまい)をつぶしたポタージュに似たお粥(ムリジュク)、わかめと牛肉の二種類のスープ(湯、タン)、大根なます、ほうれん草の胡麻和えや、ゼンマイの入った色鮮やかな三色のナムル、二種類のチゲ(羹)、鱈を煮込んだチョリム、具の沢山入ったチム(蒸し煮)、ペーチュ(白菜)キムチや、大根のカクトウギ、大根と葱のムル(水)キムチ(トンチミ)、牡蠣のチョッカル(塩辛)、生のままの栗と、高麗人参、胡瓜、青唐辛子、胡麻油と食塩で味付けした焼き海苔、焼肉(プルゴギ)とチシャの葉、クイ(焼魚)、真鯛や海老、ほや、小蛸、スライスした骨付雀鯛などの刺身(鱠、フエ)とエゴマの葉、お好み焼きみたいなチョンニャなどなど、それに、これも生のままのにんにく、唐辛子に、コチジャン、醤油、酢、芥子、蜂蜜などのヤンニョム(薬念、調味料の意味)がテーブルの上に所狭しと、並べられた。

韓定食は、もともと宮廷料理であったが、後には、両班(ヤンバン)の家庭にも入っていったという。

李は、「専務さんには、お忙しいところわざわざ訪韓いただき有難う存じます。今日は、妻とも相談し、韓国の伝統的な宮廷料理をご賞味いただきたいと思いご案内しました。どうぞゆっくり召し上がって下さい」と挨拶した。

早速、伊藤の隣に立膝で寄り添った妓生は、小皿に取ったお粥をヤンニョムで味付けし、スプーンで口に運んだ。

お粥が終ったあと、李は、「それでは、専務さんの訪韓を歓迎し、今回のご縁が成功裏に発展するよう願って乾杯しましょう」と、妓生に麦酒を注ぐよう指示した。

それぞれのグラスに麦酒が注がれたのを見届けてから、李は、グラスを高々と掲げ、「乾杯」と言って、三人とも一気に麦酒を飲み干した。

李は、もう一度「どうぞゆっくり召し上がって下さい」と言って、

「麦酒の後は、日本の清酒と同じ『正宗(チョンジョン)』や、キョンジュポプジュ(慶州法酒)があります。如何ですか?」

と言うと、伊藤は、

「私は、大の日本酒党です。韓国のチョンジョンは、やや甘口で大好きです」と言い、妓生とも杯を交換しながら、妓生の運ぶ料理に舌鼓を打っていた。

李は、「私も、妻も両班(ヤンバン)の出身で、私は、七歳の時日本に行き、日本で育ちました」と如何に自分たちが名家の出身で、財界に人脈を持っているか、縷々饒舌であった。

両班は、李朝時代の支配階級であり、両班とは、東(文)班と、西(武)班を意味し、儒教の教養を持った文武に通じた官僚で、常民(サンミン、平民)と区別された。

しかし、第一代の李成桂王以降、次第に士を遠ざけ、詩文をものする官僚を優遇し、李朝も末期になると、徐々に両班は、力を失い、後には金で売買されるようになったという。

伊藤は、感心しながら聞いていたが、一方では酔いも手伝って、隣の妓生に半分以上の関心を注いでいた。

※本記事は、2021年6月刊行の書籍『破産宣告』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。