新会社の設立

一九八八年(昭和六十三年)三月末の韓国ディック・ケミカルの中間決算理事会に出席するため、ディックの倉本和雄社長は、成田を出発した日本航空のファーストクラスにゆったりと腰を落としていた。

丁度通路を挟んで隣に若い女性と座っていた同年代の男が話し掛けてきた。

「お仕事ですか?」

「そうです」

名刺を差し出しながら、「お見知り置きいただければと存じますが、私は、在日(韓国人)で韓国との貿易の仕事をしています。また、韓国でも、共立貿易と、共立資材という会社を経営しています」名刺には、『共立商事株式会社 代表取締役社長 李正真』とあった。

倉本和雄社長も名刺を渡して、「当社は、鉄鋼や、自動車、電機産業向けの塗料や、化学製品を供給している会社です」

「そうですか。私は、大和製鉄の電磁鋼板、松田電器産業や、共同製作所のコンプレッサーなどを取り扱っています。とりわけ、共同の瀬川会長とは親しくさせていただいており、会長の紹介で大洗ゴルフ倶楽部のメンバーにもなっています。ゴルフは、如何ですか?」

「やりますよ。韓国のゴルフ場はどこのコースがいいですか?」

「ニューコリアや、私の入っている第一はいいですよ。一度ご一緒しませんか」

「ところで今度当社では、韓国で合弁会社を計画しています。パートナーとして、今、T油化と交渉しているのですが、ご存知でしょうか?」

「よく知りません。しかし、慎重に決められた方がいいですよ。日本から金さえ取れば経営はどうでもよいという輩がいますからね。どうですか。この私と組みませんか。東宇(ドンウ)製鉄や、陽明(ヤンミュン)自動車、三倉(サムチャン)電子、銀星社などには取引もあり、沢山コネを持っています。ご期待に沿えると思いますが、塗料については全く素人ですから指導していただかなければなりません」

と言い、続けて、

「今回の滞在中お時間があれば、お食事でも如何でしょうか。いい所をご案内したいと存じます。ホテルは、どちらでしたか?」

「ヒルトン・ホテルです。明後日であれば空いてはいますが」

倉本社長は、観光会社の友人の紹介もあり、料亭(キーセンハウス)で一晩羽を伸ばすことも考えていたので、あまり気乗りはしなかったが、李は、間髪を入れず、

「それでは、当日夕方六時にロビーでお会いしたいと存じます」と畳み掛けて来た。

倉本社長は、韓国から帰るや否や、DPの専務取締役伊藤を呼び、「T油化なんか駄目だよ。共立貿易の李社長を紹介するから、会って来い」と指示した。

伊藤は、倉本社長べったりとの評判で、酒を飲まない社長から麻雀に誘われると下手糞麻雀だったが付き合っていた。佐藤も誘われ、一緒にプレーしたことが何度かある。典型的な日和見主義者というのが彼に対する社員の陰口だった。

倉本社長から指示された伊藤は、T油化の原料を使用しプサン(釜山)の韓国鉄鋼工業などにすでに製品を納入していたから格好の合弁相手と考えていたし、劉(ヨオ)社長も信頼に足る人物と見ていたから、すでに合弁契約書案も送り、契約寸前の状況にあった。

伊藤は、T油化にどう断るか困惑の極みにあり、「分かりました」と返事するのが精一杯だった。とりわけ、劉社長とは気心も通じ、料亭で何回ももてなしを受けており、その時の妓キー生センの顔が頭に浮かんでは消えた。

伊藤は、早速李正真社長に連絡を取って、ソウルの共立貿易株式会社を訪問し李夫妻に面会した。