「男は会社、女は家」が生んだ男性高齢者の悲劇

内閣府が平成二七年度に行った「第八回高齢者の生活と意識に関する国際比較調査」によると、家族と一緒に暮らしている高齢男性の中で、「家事を担っている」と回答した人の割合は、日本二.四%、アメリカ二四.〇%、ドイツ二三.五%、スウェーデンではなんと七三.四%でした。

一方で高齢女性は、日本七五.五%、アメリカ四三.九%、ドイツ六九.八%、スウェーデン七五%と高いことが分かっています(次の頁の表)。日本の男性高齢者が家事を担っている割合は他国と比べて目立って低く、ほとんどが家事を妻をはじめとする同居家族に頼り切っていることが分かります。

これには時代背景が大きく関係しています。一次産業に従事する人が多かった時代には、役割や程度に差はあるにせよ、職住接近で男女がともに働き、ともに子育てを担いました。だから子どもたちも、父親がどんな仕事をしているかをよく知っていましたし、父親は子どもたちとしょっちゅう遊んでいました。

それが、都市化が進むことにより、家と職場が切り離され、「男は会社」「女は家」という役割分担をするのが合理的だというように変わってきます。高度経済成長期にはすっかり、男は外で働き、女が専業主婦として家事と子育てを担うという分業が一般的になりました。

「男子厨房に入らず」があるべき姿となり、会社で男が「家事をしている」などと言うと、「奥さんに何かあったのか?」と心配されたり、「ついに愛想をつかされて、出て行かれたか」などと冷やかされたりしました。都市化に伴う男性のサラリーマン化と専業主婦の誕生は、給料袋を持って帰る父親を、家族ですき焼きを用意して待っているという情景を生みました。

そのせいか、家事に関する認識が根本的に間違っている男性が多く見受けられます。妻に対する「誰のおかげで、飯が食えていると思っているのだ」といった物言いに代表されますが、金を稼いでくる自分は偉く、金を生まない家事や子育てには価値がない(したがって、自分のほうが妻より優れている)という考え方です。

当然ですが、家事代行サービスなどに外注すればお金がかかるわけで、家事にも十分な価値があります。夫婦で財布を一緒にしているから、支払わなくていいだけのことです。また、仕事をするにはそれなりの基盤や支えが不可欠ですし、家庭の支え方次第(妻の働きや存在次第)で仕事の成果が左右されることもあるでしょう。

「誰のおかげで、飯が食えていると思っているのだ」に対して、妻が「誰のおかげで仕事に専念できているのだ」「誰のおかげで貯金ができていると思っているのだ」と言い返せば面白くもなるのでしょうが、そうもいかない上下関係が家庭にできてしまいました。