私の心配は的中した。まず夫の口が納豆の小鉢の中に落ちる。あっと思って手を伸ばしたが間に合わなかった。私はげんなりする。

大体夫は真面目すぎるのだ。目の前のことをキッチリカッチリやり切ってしまわないと気がすまない。だからそれに気をとられて全体が見渡せず、状況判断が遅れるのだ。

夫は自分の口が落ちたのも気づかず、まだ納豆をかきまぜている。納豆には無数のあぶくが立ち、ふっくらと次第に盛り上がり、今にも小鉢から溢れそうだ。そんなに一心不乱にかきまぜたって、口がなきゃ食べられないのに。

半ば呆れていると、夫の両耳がぼたぼたと食卓に落っこちた。慌てて声を掛けたが、もう遅い。仕方なく立ち上がって夫の傍らに行き、肩を揺すってみても気づかない。

そのうちに目も鼻も眉もだんだんにずり下がり、それぞれアゴのあたりでしばらくブラブラしてからやはり食卓に落ちて、とうとう夫はのっぺらぼうになってしまった。

納豆はどんどん膨張して小鉢から溢れ、食卓に納豆の沼ができる。夫の顔の部品がゆっくりと納豆の沼に飲み込まれていく。小鉢を取り上げようとしたが、夫はがっちりと掴んで離さない。

全くうんざりする。

この人に悪気はないのはわかっているのだが、妙なことにこだわるものだから、小さなことを少し大きくしてしまう。これから年を取るときっとその傾向はどんどんひどくなるのだろう。

ため息をつきながら、夫の顔の部品を納豆の沼から引き上げて流しに持っていく。目も鼻も口も耳も眉も糸を引いている。食卓を振りかえってみると、膨張した沼はとうとう食卓を覆いつくして、食卓の縁から納豆がぼたりぼたりと床に落ちていく。

ダイニングから数歩でリビング。そこには私のお気に入りの絨毯が敷いてある。そちらに向かって、ぞろりぞろりと沼の魔の手が伸びていく。

ギョッとして雑巾を取りに行き、絨毯の手前に雑巾の堤防を築こうとしたが、時すでに遅く、納豆の沼は絨毯に到達してしまった。

私はカッとなって夫の背後に回り、夫の首を絞めた。これには夫も驚いたらしい。苦しがって両手で私の手を振りほどこうとする。のっぺらぼうなのに苦しがっているかどうか、わかるものかと思われるかもしれないが、部品がなくてもシワだけは寄るので、表情のおよその見当はつくのだ。

それより口も鼻もないのだから、一体どこで息をしているのかわからなかったが、夫は苦しがってようやく小鉢を手放した。取り上げた小鉢を流しに持っていったと思ったら、後ろでドスンと音がする。振り向くと、夫が小鉢を求めて立ち上がって沼に足を取られたらしく、尻餅をついていた。夫のパジャマは納豆まみれだ。

予想通り。すべては予想通りだ。

※本記事は、2021年5月刊行の書籍『苦楽園詩集「福笑い」』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。