とにかく僕はトモ君を兄貴のように慕い、一緒にいた。話がトモ君のことになってしまったので、閑話休題。

ソル・メドロールがかなり効果があって、僕はすこぶる良い状態になった。そんななか、親がマンションのパンフレットを持って来るようになって、納戸と書かれた部屋がおまえの部屋だと説明された。でも、納戸とは物置であって部屋ではない。一方、姉はちゃっかりと5畳の洋室を部屋にしているみたいだ。引っ越すなんて夢にも思ってなかった……。

11月26日、晴れて退院した。退院後、紫外線を避けるために小学校は夕方行った。退院の報告と今後の学校の通い方の説明と調整。それは滞りなく終わったのだが、帰り際、ほかの先生何人かに会うと、なんだか様子がおかしい。とある先生は泣きながら僕を見つめていた。あまりの変わりように驚いたのか同情だったのか、その泣き顔は印象的でよく覚えている。

この6年生の夏の再発は命の危機に晒された再発だった。紫外線、恐るべしだ。治療はとても強力であるために副作用も半端なかった。仲良しだったトモ君は、退院してから2年くらい経って、外来で病院に行った折りに、車椅子に座って泣いていたのを見た。

もうそのときには僕の顔はわからないらしく、小さい子どものように泣いて、不安そうに「お母さんが迎えに来てくれない」と言っていた。トモ君の癌はあのときには脳に転移していたんだと思う。その後どうなったかは、残念なことにわからない。

※本記事は、2020年9月刊行の書籍『僕は不真面目難病患者 ~それでも今日を生きている~』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。