金沢駅で特急雷鳥に乗り、一路大阪に向かった。マンションに戻って、千絵の家に電話を入れたが、あいにく千絵は留守で、留守番電話が虚しく応答していた。達郎は何も吹き込まずに無言で切った。今朝のニュースを見て、警察に出頭しているのだろうか。達郎は気をもんだ。夜になって、もう一度電話した。すると、今度はすぐに千絵が出た。

「石原です、こんばんは」

「ああ、こんばんは」

千絵の明るい声が返ってきた。どうやら、警察には出頭していないようだ。

「今日は、伊藤さんに、ちょっと、相談があって……」

達郎は、わざと照れ臭がるような雰囲気が醸し出せるようなニュアンスで語った。

「実は、智子が死んでからまだ四十九日が経ったばかりだというのに、会社の部長が見合いをしろと言うんですよ。僕はまだ智子のことが忘れられないから、断わったんですけど……部長が再婚を勧めるんですよ。僕は智子一筋だったし、智子も僕だけを愛していてくれたから、何よりも智子に悪いと思うんです……だけど、いつまでも一人でいるわけにはいかないだろう、と部長も言うんで、一番智子と仲が良くて、智子の気持ちを理解していてくれた伊藤さんの意見をきこうと思って……」

「……ええ、それはやっぱり、石原さんの人生ですから、天国にいる智ちゃんのことも気になるでしょうが、再婚なすった方が良ろしいんじゃないですか」

予想もしていなかった相談の内容に、当惑しながらも、千絵は当たり障りのない回答をした。

「だけど、それじゃ、生涯僕だけを愛していてくれた智子に悪いんじゃないでしょうか」

このように言っておけば、俺が智子の浮気など夢にも思っていない、と千絵は思うだろう。そうすれば、井上と智子と俺を結びつけるようなことをしない、達郎はそう思った。

「ええ、それもそうでしょうけど、石原さんのお気持ち一つですわ。石原さんが幸せになることを、智ちゃんも望んでいることでしょうし……」

「そうですか、伊藤さんにそう言っていただければ、安心です」

その後、二、三雑談を交わして、電話を切った。うまくいった。これで、俺が智子を疑っていることを千絵は認識していない。むしろ、その逆で、智子は達郎一筋だった、と俺が思い込んでいると認識するはずだ。

だから、井上が殺されて警察が手がかりを探しているからといって、わざわざ智子との関係を知らせたりしないだろう。死んでしまった智子の名誉も傷付くし、純愛を信じている夫にも傷が付く。それに時間と交通費を使って、金沢まで出向いたりしないだろう。達郎は、そう読んだ。その達郎の読み通り、千絵は金沢の警察に井上と智子の関係を吐露するようなことはしなかった。

実際のところ、千絵は、智子からは、ある百貨店の店長と関係を持っているとしかきかされておらず、松越百貨店という名も、金沢の店長であることも知らなかった。だから、以前に達郎から智子がどこの百貨店で買物をしていたのか、と尋ねられた時も適当に答えておいただけであった。

そのような状況であったから、松越百貨店の金沢店長が殺されたという事件を知っても、千絵にとっては通常の三面記事の価値と何ら変わりがなかった。その意味で、達郎の取り越し苦労だったが、このような用心は決して無駄ではなかった。

※本記事は、2021年5月刊行の書籍『店長はどこだ』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。