新宿の中心は新宿三丁目にある

甲州街道の最初の宿場は当初は高井戸でしたが、日本橋から高井戸までの距離が遠過ぎたので、その中間にあった内藤家中屋敷の地に新しく宿場を設けることになりました。そこで新しい宿場街、新宿が生まれました。内藤新宿は、甲州街道と青梅街道(昔は成木街道と言いました)の分岐点に設けられ、追分宿と言われました。

追分宿があったのは今、新宿三丁目交差点近くにある追分団子屋の付近です。明治以降の新宿発展の中心地は、JR新宿駅周辺ではなく、新宿三丁目交差点付近でした。その証拠は、京王線の前身の京王電気軌道線の始発駅が、新宿三丁目の内藤新宿でしたし、デパートの三越(昭和四〈1929〉年)と伊勢丹(昭和八〈1933〉年)とが出店したのもJR新宿駅から遠く離れた新宿三丁目だったことで明らかです。

平成二十(2008)年、池袋、新宿、渋谷を結ぶ地下鉄副都心線が開通して、東武東上線と西武有楽町線が副都心線に乗り入れることになり、平成二十五(2013)年、東急東横線が新宿副都心線と地下でつながりました。

その結果、新宿三丁目が三つの私鉄の結節点となりました。そして、そこには地下鉄丸ノ内線の駅が既にありましたので、新宿三丁目の交差点は、地下交通網の要衝になりました。しかも、都の西北の埼玉県と南の横浜が新宿三丁目の地下で結ばれたことで、新宿は広域圈へ一本の鉄道で直接繋がることになり、新都心として発展する弾みをつけました。

新宿通りは新宿のメインストリート

他方、JR山手線の新宿駅が開業し、それに小田急、京王の私鉄のターミナル駅が接続し、小田急、京王の二つの駅デパートが誕生して、新宿三丁目のほかに、もう一つの新しい新宿繁華街の核が成長します。しかし、新宿駅を乗降する人々の多くは、駅周辺から新宿三丁目に向かいました。その結果、新宿駅東口から新宿三丁目交差点までの新宿通りが、新宿のメインストリートになりました。

新宿駅東口を出た広場の前には、むかし二幸食品店がありましたが、今は新宿アルタの電光掲示板が聳えています。新宿通りにはフルーツ高野、インドカレーの中村屋、紀伊國屋書店など昭和初期からの老舗が並びます。

更に進むとビックロ(ビックカメラとユニクロの共同出店施設)、三越伊勢丹(2011年合併)があり、新宿三丁目交差点を過ぎると、額縁屋の世界堂、マルイ・アネックスと新宿バルト9(シネマコンプレックス)と続きます。新宿通りは、銀座中央通りより道幅が狭い通りなので、歩行者天国で車道を歩いていても広い歩道を歩いている気持ちになります。