私が生まれ変わるまで

〈ロサンゼルス〉1998年

こうして、私たちは4年半住んだ土地を離れ、少し地元に近い場所に引っ越すことになりました。

そこは夫の会社の社宅で、かなり年数が経過したボロ社宅。あまりにひどかったので、私たちは家を建てるという計画を立て始めました。家を建てるには、住宅ローンを組むことになります。

そのころの夫の会社は、一部上場の大企業。ローン審査はすぐに通りました。25年ローンという、大変先の長い、言ってみればとても責任の重い、未来の見通しが立てづらい長期の借金を背負いました。

普通なら、住宅ローンを組んだという事実は、多かれ少なかれ重荷となって気持ちの中でも自覚するものだと思います。

私は、そこからの25年を、少なくとも二人で責任を持って仕事をしなければならないし、子どもの教育費や家の維持費なども頭に入れて計画的に生活設計をするということが常識だと思っていました。

だから、あえてそんなことを夫に確認もしなかったし、当然わかっているものと思っていました。こうして1999年3月、二人目の子どもを妊娠したことがわかったとき、マイホームが完成しました。

二人目の子ども 1999年

上の子が2歳になってしばらくたったころ、下の子の妊娠がわかりました。

正直、子育てが(一人でやっていたため)予想以上に大変だったこともあり、二人目は考えていませんでした。でも、予想に反して二人目の妊娠が判明。

ビックリはしたものの、やはり子どもを授かったとなると嬉しい気持ちもありました。

これを夫に伝えたとき、彼が最初に言った言葉。

「え? 誰の子?」

冗談のつもりなのか、本気なのか。彼はよくこの手の冗談を言いました。ものすごく趣味が悪い。自分はアメリカンジョークだと思っているらしいが……それを言われた相手が、どんな気持ちになるのかを考えたことがあるのだろうか。

そんな彼を無視し、私は妊婦生活に入りました。二人目は、さすがに初めてのときと違って、妊娠期間中も快適でした。つわりもなく、体重もそれほど増えず、保育園に行っている上の子を待つ間は、のんびりと妊婦生活を楽しんでいました。

それから家が完成し、間もなく二人目を出産するために実家に帰省しました。2度目はさすがに夫も学んだのか、早めに来て病院で待機していたにもかかわらず、生まれる瞬間には夕飯を食べに出かけているというまぬけな事態に。

看護師さんに確認なり、何なりすればいいものを、こういうときだけ自己判断で動くからなぁ……タイミング悪いというか、空気が読めないというか。

次女が生まれ、顔を見た夫は「ガッツ石松」に似ていると。もちろん名前は「ガッツ」ではないにも関わらず、彼はいまだに次女を「ガッツ」と呼んでいる。いまだに!

私が実家に帰っている間、彼は一人で新築の家にいたのですが、とにかく何がどこにあるのか知らない(というか、何度教えても覚えない)ので、家じゅうの戸棚や引き出しにシールを貼り付け、中身を書いておきました。

これだけしても、彼は何度も実家に電話をかけてきました。そして一度教えても、翌日にはまた同じ質問をするのです。こんな人だったにもかかわらず、私は自分で男なんてどこもこんなもんだろうと思い、違和感は持たなかったのです。

世の中の普通の男性を知らなかった、私の浅はかさです。