家庭崩壊で部屋食の先輩

その間に、お世話になった会社の先輩から連絡があり、食事を共にした。

私は、体調を崩してから「酒、ゴルフ」は止めた。止めると仲間付き合いがどんどん薄くなるのを感じていた。体調を崩してから、私が、仲間に、

「ちょっと、飲もうか」

と言うと、相手は、ビールと思い、私は、コーヒーのつもりが……。

そんな思い違いが多く、戸惑ったことが幾度かある。私からも、仲間からも声をかけることが少なくなった。

それ以来、席を一緒にする仲間も限られた。人の世界は、やはり「飲みニケーション」が意思疎通には大切であり、欠かせない。

目に見えない情報が耳に入ってこない現状を理解した。

しかし、酒、ゴルフを止めたことは受験には幸いした。学習のための時間が増えたことだ。食事を共にした先輩は、五年先輩で、定年前に早期退社をして、現在、悠々自適な生活を送っている特に世話になった先輩である。

「試験の結果は、如何だった。合格しそうか」

先輩は肉を焼きながら、忙しく箸を動かし野菜の区分けもしている。親分肌で周りを温かくする雰囲気を作り上げることが得意な先輩に、自ら箸を持って細かく野菜を区分けしている姿は似合わない。

「まあまあと言ったところですか。受かるも受からないもサイコロ任せってところですよ」

私は、気のない返事をした。

「ところで、先輩は悠々自適で人生を謳歌している見本ですね」

と、焼かれた肉を食べながら、先輩に言うと、意外にも、

「何、言っているの。その逆だよ。お前から見たら、そう見えるかもしれないが事実は小説より奇なりだよ。早期退職が誤算だった。俺が家内の考えも聞かずに勝手に決めたため、退社以降、なんとなく余所余所しくなり、今では対話もない。食事も『部屋食』だよ」

先輩の言ったことが信じられず、「部屋食」の意味も分からない。不意に私は、

「部屋食、良いじゃないですか。ホテル並みですね」

「馬鹿言っちゃあいけないよ。食事時間になると、俺の部屋の前に食事のお膳が置いてある。夕食の時間になるだろう。そうすると、ドアーをノックする音がする。ドアーを開けると廊下に夕食がお膳に据えられている。それを食べるわけさ」

「食べ終わったら、如何するのですか」

私の顔を見て、笑いながら、

「お勝手に持って行って、置いてくる。セルフサービスだな」

「洗うのも先輩が……」

「洗うのは、家内がやっているよ。朝も同じさ。朝は、毎日早いぞ。七時前にはドアーノックがあるから、それまでには顔を洗って待っているのさ」

先輩は、何の不自然さも感じない様子で私に教えてくれる。私だったら、恥ずかしくて他人には言えない。内緒事として、心に仕舞って「誰にも知られない様に」鍵をかけてしまうだろう。

「信じられませんよ。本当ですか。嘘でしょう。それじゃあ、家庭内離婚じゃあないですか」

驚いた私は、からかわれているのか。語気を強めて言った。先輩は、大きな肉を口に頰張りながら、箸で野菜を網に乗せ、

「本当さ。現実は厳しいね。毎日、図書館通いばかりして、一向に働かない俺に八つ当たりでもしているのかと思っている時期は良かったが、退社して七年もすると家内からも見捨てられた見本だよ。俺は、退社後に何をするという計画もなく、ただ、会社を辞めたかった。その点、お前は偉い。さすがと思っているぞ。合格するといいな」

私は、先輩の現状が不安で、心配になり、

「先輩から、奥さんに声を掛けて話をしたらいいじゃあないですか。現状を解決するにはそれしかないですよ」

「もう、遅いよ。駄目さ。家内には家内の人生がある。俺と一緒の墓には入らないと家内は言っている」