では、私自身姑との関係はどうであったか。長男で姑が溺愛していた息子が私の夫である。とても近い関係になってしまった。

新婚当初、社宅の居間で姑と夫はよくフローリングの床の上に転がってテレビを観ていた。「あなたもここで一緒に観ましょうよ」と、姑は「川の字」になってテレビを観ようと誘ってくる。大事な息子のお嫁さんだからセットで可愛がろうと決めたのだろう。嫁を敵視することなく、息子共々二人分丸ごと愛することが出来る母の力に圧倒された。負けたと思った。

可愛がられている自覚はずっとあり、とても有り難かったが、常に母の存在がすぐ近くにあるのは、正直鬱陶しかった。自分の夫とより母と一緒に食事や会話をした時間のほうが長かった。いったい何回「みのもんた」の情報番組を観ながら母と昼食を共にしただろうか。健康法から嫁姑問題の電話相談などなど、まったく興味のない番組を見るのも、まだお腹もすいていないのに、二人でテーブルを囲んで昼食をとるのも苦痛だった。

私は姑のことが嫌いだった訳ではない。それどころか、とても尊敬していたし大好きだった。綺麗で知的で面白くて大胆でユニークで。ゴッドマザーといったオーラがすごい人だった。最初から、とても太刀打ちできないものと分かっていたから、嫉妬もしないし、夫との三角関係になどならなかった。でもずっと一緒は嫌だった。

社宅から今の家に越した時、姑はなかなか帰らなかった。「もしかして、このままずっと住むつもりかな?」と不安になっていた頃、いったん荷物を取りに帰るという。そこで私は姑宛ての手紙を書いて、そっとバッグに忍ばせた。10枚もの長い手紙の要約は「この家の大黒柱はお義母さんではなくあなたの息子、私の夫ですから」。

その後、姑の言動に一切変わりはなかったから、あれは夢だったのかな?

「お義母さん手紙読んだ?」

さすがにそれは聞けなかった。書いたことに多少の後悔もあったし、書いてスッキリしたから「まあいっか」と忘れることにした。私たち二人は、とぼけるのも聞こえないふりも上手だった。「お義母さん、随分と失礼なことを申しました。でも聞いてなかったから大丈夫ね。私も聞こえていなかったよ」

馬耳東風ばじとうふう 人の意見や批評をまったく気にとめず聞き流すこと

※本記事は、2020年6月刊行の書籍『ママ、遺書かきました』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。