視線

ある日の保育園健診で、一列に並んだ幼児のひとりひとりに聴診器を当てておしゃべりしながら健診を進めていた。その中に一人、じっとできず、列をはみ出し動く男の子がいた。

保育士の話では、落ち着きがない、集団行動は苦手、指示が通りにくい、視線が合わない、衝動的なところがあるなど、発達障害を思わせる子なのだという。

その男の子の順番が来た。体を左右にくねらし、視線は泳いでいる。

「お名前は?」ときくと、二度目の問いかけで機械的にポツリと答えた。

「何歳ですか?」ときくと三度目に「シャンサイ(三歳)……」と小声で答えた。

その間、視線は定まらない。

その子に向かってこんな言葉で話しかけた。

「君はえらい! よう頑張っている! きちんと並んでいてくれたね。いつも頑張っているんだなー。えらい!」

すると、その子、初めて、こちらに視線を向けた。

診察が終わった後も動こうとせず見つめている。保育士に促されて次の子に変わるときも、立ち去りながらもチラッとこちらを見た。

この三歳半の子は、自分が人と違うことを自覚しているのだ。

みんなと同じようにできない自分を自覚しているに違いない。わかっていながらできない自分のふがいなさを自覚しながら頑張っているのだ、と思った。

「頑張っている」という言葉そのものの意味は分からなくても「自分をわかってくれている」という思いをくみ取ったに違いない。

自閉症の中には視線を合わすのが苦手の子もいる。

目で見る、耳で聞く、言葉で応じるという一連の動作は「見る・聞く・答える」という三つの動作が同時にできて初めて可能となる。

自閉症の場合、目と耳の動きがうまく連動できないため、耳に意識を集中させると目がおろそかになる。逆に視線を合わそうとすると耳の方がおろそかになる。だから視線が泳いでしまうのだ。

一方、自閉症の子でも本人がすこぶる関心のある事柄に対しては耳と目の動きは完全に一致、連動する。

ゲームやユーチューブを見る時のあの集中力と目の輝きがそれを物語っている。

※本記事は、2020年3月刊行の書籍『爆走小児科医の人生雑記帳』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。