「じゃあん、ほら、これだ」

得意げにミュウが広げたのは、「旅の思い出」と書かれた三角形のペナントだった。

「それとも、元祖お袋の味・手づくり漬物セットとかのほうがよかったかな」

それ、漬物好きの母は喜ぶかも―いや、そういうことじゃないよね。この場合……。

「ありがと……すごくうれしいわ」

微妙すぎるおみやげだけど、ミュウがちゃんとおみやげを買ってきてくれるなんて、それだけで大変なことかもしれない……ペナントを手にしながら、わたしは自分にそう言い聞かせた。

「ぼくも、人助けができてよかったよ」

「人助け?」

「うん。今どきこんなペナントだれも買わないらしくて、おみやげ屋のおばさんが、売れ残りの処理に困っててさ。ただでもいい、っていうから、もらってきたんだよ」

ははは……そうなんだ。すてきな人助けができてよかったね……。

もはや悟りにも似た境地で、力なく微笑むだけのわたしだった。

あーあ……結局、今日もまた、ミュウのペースに巻きこまれてる。けれど、こんなに楽しい気分になったのも久しぶりだ。ここのところ気がふさいでいたのは、梅雨空のせいなんかじゃなく、このヨウム室の楽しい時間が欠乏していただけなのかも。

これって、ヨウム室欠乏症、というよりミュウ欠乏症? …………やれやれ。

少女と憂鬱とフレミングの法則 3

ミュウといっしょにヨウム室を出たのは、五時十五分をまわったころだった。

ミュウとの久しぶりのおしゃべりは尽きなかったけれど、今日は母の仕事が遅番シフトなので、わたしが早めに帰って夕食の準備をしておく必要があったのだ。

「よかったあ。雨あがってる」

ところどころ切れた雲の端がバラ色に染まり、そこから、琥珀色に輝く光の矢が、幾筋も地上へと伸びている。

「ね、ね、レンブラント光線。ヤコブの梯子だよ」

空を指さし、おぼえたての言葉を一生懸命使おうとする子どもみたいに、わたしは、はしゃいだ声をあげた。

「きれいだね。『雨のちスペシャル』って感じ」

「なんだい、それは」

「ええとね、ちっちゃいころ大好きだった歌だよ。『みんなのうた』でおぼえたの」

ミュウに答えながら、懐かしいメロディーをリフレインさせる。

晴れたら青空飛んでみよう 地平線からどこまでゆこう―

不意に、ミュウと二人、ジャングルジムの上から見た夕暮れの空がわたしの中でよみがえる。あの日わたしは、ミュウがこのまま天使のように空へ飛んでいってしまったらどうしよう、と真剣に思っていた。

そのとき、ミュウは、「だいじょうぶだよ」と言って笑った。

でも、あの日の不安は、今も消えることなくわたしの中にある。

そのことが、この数日間でわかってしまった。

※本記事は、2021年4月刊行の書籍『六月のイカロス』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。