羅臼岳(北海道)夢の海峡 1990年8月

這松の根

シナノキンバイが群生している。右手に高く見える羅臼岳の上半分は霧で見えない。

石ころの急登を藤さんはどんどん登っていく。島さんと私の遥か上だ。やっぱり金粒の薬が効いたようだ!

急登を終え、這松帯が広がる羅臼平に出ると、大きな碑があった。「木下弥三吉君(1909~1960年)を記念して。北大山の会有志。知床を限りなく愛し、友にこれを惜しみなく分けた」と書いてあった。

私たちが腰を下ろして休んでいると、這松のなかから「ひょい」と何か動物が現れた。

「あれ、何だ、それ?」

と島さん。

「イタチかな? テンだろうか?」

生まれたばかりの子猫くらいの大きさだ。二本足で立って、こっちを見ている。体は茶色で胸のあたりが白い。この知床の山には、野生の動物が相当いるに違いない。周辺全体が動物園にいるように獣臭い。

羅臼岳の頂上はもう目の前だ。オホーツクから吹いてくる霧が頂上を見え隠れさせている。

道は緩やかな登りだが、這松の根の上を歩く。踏みつける松がかわいそうだが、道は這松の上しかない。ふわふわと弾み、這い松の太い根は皮がむけて滑りやすい。こんなところで捻挫したらと思いつつ、慎重に歩く。立ち止まって見上げると、頂上周辺は大きな岩で険しそうだ。

「知床五湖が見えますね」

と頂上先着者の声がした。岩に書かれた赤いペンキを追ってさらに登る。最後は四つん這いだ。

1661目ートルの頂上に到着!

岩尾別温泉から4時間の登山だった。頂上には若い人たちが六人休んでいた。振り返ると、登ってきた下のほうに羅臼平が見え、その先に山が幾重にも重なり合って延びている。三ツ峰の鞍部の先がサシルイ岳で、その先には硫黄山のピークが続く。

今朝出発のときに宇登呂の宿でつくってもらった大きなおにぎり二個で昼食。霧が晴れてきた。東のほうを見下ろせば海岸に近い山峡に家が見える。羅臼の街だろう。根室海峡が大きく広がって、青い海の向こうに島が見える。

「あれがクナシリですね」

羅臼岳二度目の藤さんが言った。長い島が横たわって見える。地図に物差しを当てるとわずか5キロメートルだ。クナシリの真んなかに小さな山が一つあり、すぐ左に双耳峰のように高い山と低い山。

あの島に昔、日本人の生活があったのだ。いつの日か、あの島に行って、あの山に登って、あの山から、こちらの羅臼岳を眺めてみたい。夢の、夢の、そのまた夢かな……。

【鷲羽岳(長野・富山)】 北アルプス最奥を歩く 1989年8月

やり残し

何かの理由で登れなかった山は、いつまでも気になるものだ。私にとって、北アルプスの鷲羽岳がその一つだった。

4年前に雲ノ平から祖父岳・鷲羽岳経由で三俣山荘に行く予定を、台風接近のために稜線歩きを避けて黒部源流に下り、三俣山荘に登りあげた。

あのとき以来、私は何度も北アルプスの写真のなかに鷲羽岳を見たが、まるで借金をしたまま返さずにいるように、ずっと心残りだった。

百名山のなかで、登った山は次々に消してきたが、鷲羽岳は残っていた。

今回の山の行程は、富山駅~折立~太郎平小屋・泊~北ノ俣岳~黒部五郎岳~黒部五郎小屋・泊。初日の太郎平小屋からいよいよ本格的にアルプスに入っていく。曇っていた昨日とはうって変わって、今日は朝から快晴である。

太郎平小屋を5時に出発。天気が良いので気分も弾む。

たおやかな薬師岳を振り返りながら、同行の久我さん(28歳)と、北ノ俣岳へ向かった。前方で女性四人のパーティーが休んでいた。

私たちが近づいていくと、向こうから声をかけてきた。