晴耕雨読 昭和一桁九州男児

父は晩年晴耕雨読の生活を送った。

土いじりが大好きだった父は、庭に沢山の花を遺してくれた。

ラズベリー、ブルーベリー、雪柳、ツワブキ、クリスマスローズ。今は黄色いツワブキの花と千両の赤い実が冬の庭を彩ってくれている。6月、梅雨の頃はラズベリーが沢山実り、父なき後も可愛くて甘酸っぱい実を楽しむことができる。

6月生まれの息子の誕生日は毎年ラズベリーのショートケーキと決まっている。ただ、春の庭にチューリップの花はない。球根を植える人がいなくなってしまったから。

埼玉に住んでいた両親を千葉に呼び寄せることにした時、私は家庭菜園「クラインガルテン」を借りることにした。

それは、退職後、野菜作りを楽しんでた父に引き続き畑仕事をしてもらうためだった。そのうち凝り性の父は「もっと広い畑をやりたい」と、近隣農家から畑を借りては拡張し、広大な面積に沢山の種類の野菜を育て始めた。

父は車の運転をしなかったので、私が駆り出され父娘一緒の農作業。彼の手となり足となり、買い出しから、草取り、植え付け、手入れ、収穫まで、何もかも一緒にやるようになっていった。虫と日焼けを嫌う私にとって、その仕事はあまりに荷が重く重労働過ぎた。

大量の野菜が毎日収穫できるのも頭の痛いこと。ご近所、友人に配り歩いてもまだまだ余る。そのうち、近くの直売所に野菜を卸し、「野菜ボックス」の宅配便の真似事までするようになる。

今考えれば、幼稚園から小中学校までの子供たちを4人育てながら、パートの仕事の合間を縫って「何でそこまでしたのかな?」と笑ってしまうが、今より若かった私はその時必死だった。「父の生きがいの畑を守るため」「後で自分が後悔しないため」。そんな切羽詰まった気持ちで、正体の分からない何かと日々戦っていた。

「私負けないから!」ぶつぶつ唱えながら、ひたすら父を手伝った。

父との畑仕事、大変ではあったが楽しい思い出もたくさんある。四季折々自分で野菜を育て収穫し料理して食べることは、とても豊かで贅沢なこと。

採れたての野菜は美味しいし、手塩にかけて育てた分、可愛くさえも思えてくる。料理好きな私にとっては、それらをふんだんに使えることも幸せなこと。家族中みんな大の野菜好き、食卓はいつもカラフルで賑やかだ。

畑の前は小学校。畑仕事をしながら子ども達の姿がよく見えた。校庭で体育をしている時、休み時間、運動会の予行練習の時など「どこに秀明いるかな? あーちゃん見える?」と、父と探したものだった。子ども達が下校途中、畑に寄り道して大きなスイカを抱えて帰ってきたこともあった。

そんな、畑をやっていたからこそ得られた幸せもいっぱいあった。

私は虫が苦手だったから、ヨトウムシの大きいのが出てくるたびに、父を泣き声交じりで呼んでいた。

父は笑いながら「虫のどこが怖いんだ? こんなに小さいのに」と言って、その都度退治してくれていた。その時の優しい父の笑顔は忘れられない。

父なき畑に私は足を向けることが出来ない。車で前を通るのも避けている。そこには父との濃い思い出があり過ぎて、7年経った今でも行くと胸が苦しくなってしまう。

今は、夫が週末農民を楽しんでいる。そして美味しい野菜を持ち帰ってくれている。

「おじいちゃん、パパさんありがとう。採れたての野菜美味しいね」。有難くいただきます。

晴耕雨読せいこううどく 晴れた日は畑を耕し、雨の日は家で読書をすること。田舎に住む文人の生活をいったもの

※本記事は、2020年6月刊行の書籍『ママ、遺書かきました』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。