第二話  東日本大震災物語

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4月6日(水) 埼玉県・加須市旧県立騎西(きさい)高校。

午前中に、手描き鯉のぼりを唯一作り続ける「橋本弥喜智商店」の3代目の橋本隆さんが、

「滝を登った鯉が竜になると言われるように、困難を乗り越えて元気にお過ごしください」

と、激励され、避難している子どもたちが7日間かけて制作した町章と「双葉町」の文字が入った鯉のぼりを高さ10メートルのポールに掲げた。

その隣にあった3本のポールに大・中・小の鯉のぼりを平成国際大学女子硬式野球部員3人と双葉町の中学生・高校生3人で、

「こころは一つ双葉町!」

と大きな声を掛け合って双葉町の野球少年たちが、元気に頑張ることを祈って、3匹の鯉のぼりが澄み切った青空を見事にすいすいと泳いでいるのをしばらく見つめていた。

この場には、先月仙台で被災して平成国際大学の入学式が挙行されずに部に合流していた新入部員の内田沙和子がおり、双葉町の子どもたちと共に笑顔で鯉のぼりを見つめている姿が元気で明るかったので少し私は安堵していた。

そして激励野球教室を予定していた時間がやってきた。

実は、小早川さんは4月の2日、3日、4日にアメリカで行われていた大リーグのマリナーズ対アスレチックスの開幕試合のテレビ解説に行かれ、マリナーズ所属のイチロー選手とアスレチックスの松井選手の対戦を密着取材されていた。

その現地からの密着レポートは、

「今回の取材では、町ですれ違う人たちから『日本の災害に胸が痛む』と何度も声をかけられました。松井ともイチローとも、試合前に日本の様子を話すのが挨拶がわりでした。その中で『いつも通りのプレー』を日本のファンに届けようとしている姿を、今後見届けたいと思います」

という内容のレポートが新聞紙上に載っていた。

アメリカからの帰国後、時差ぼけがあるにもかかわらず、大橋加須市長、井戸川(いどがわ)双葉町長、集団避難された町民、少年球児たち、地元の騎西中学校野球部員、加須市シニア、平成国際大学女子硬式野球部員が待ち受ける校庭に、都内から白いレンタカーに乗って、小早川さんが乾燥したグラウンドに砂煙を上げて入場してきた。

会場の野球場のバックネットには、

―― 加須鯉のぼり・広島カープ激励野球教室 ――

『心は一つ 双葉町』

と大きく書かれた横断幕がまぶしく掲げられていた。

到着後、

「お久しぶりです。このたびはありがとうございます」

と、レンタカーから降りてきた小早川さんと笑顔で握手をした。

「濱本先生、車の中に広島カープの選手会から協力していただいた激励グッズがあります。それを運んでください」

と、広島カープのそうそうたる選手のサイン入りバットやボール、バットケース等の盛りだくさんのプレゼントを見て、広島カープのこころ温まる行為に感激し、泣き虫ハマーになりかけていた。

野球教室には、双葉町の小学校1年生から高校1年生までの少年22名が参加。さらに加須市立騎西中学校野球部、騎西スポーツ少年団野球団員、加須シニア、平成国際大学女子硬式野球部、加須市体育指導委員などの約150人が参加して行われた。

井戸川双葉町長、大橋加須市長のご挨拶のあと、講師である小早川さんが、

「皆さんがまた双葉町で生活できるようになることを願っています」

と、アメリカから帰国したばかりではあったがその疲れを見せず、激励の挨拶を行った。

教室は、小早川さんがボールの正しい握り方や打撃のこつを伝授。また、双葉町の子どもたちにはカープ選手会から預かったサイン入りのボールやバットが手渡され、さらに小早川さんの奥様から預かったたくさんの文房具が同じくプレゼントされた。

この贈答品を渡す介添えを平成国際大学女子硬式野球部員が行い、受け取った子どもたちの喜ぶ笑顔を見て、私は今後の彼女たちの人生の中で、何か人のために尽くせる人間になってもらいたいとこころの底から願っていた。

※本記事は、2017年12月刊行の書籍『女子硬式野球物語 サクラ咲ク2 旅の果てに』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。