ロータリー精神とは何か? それは、

「私たちは社会において善良でなければならない」

ということに尽きる。

「自分の有利に振る舞わない、他人を大切にする」

ただそれだけだ。それをロータリーでは、「超我の奉仕」(※27)と呼称しているのではないかと思う。なんだか、ゴルフの精神に似ているような気がしてきた。

因みに、およそ三世紀前に生まれたゴルフのルールは、当時はまったくの二つしかなかった。

それは、「あるがままを受け入れる」という公平観(達観・諦観)と「自分の有利には振る舞わない」という公正観(自厳他寛じげんたかん)だ。

まさに紳士のスポーツといわれる所以がここにある。

ロータリーの効用

アラカンどころか還暦を過ぎてだいぶ経つ僕だが、最近の運動はもっぱらゴルフのみになってしまった。その回数も、昨今の気候の激変にやられてめっきり減ってきた。

冬はグリーンが凍るほど寒い、春は花粉が怖い、夏は頭が焦げるほど暑い、そして最近ではコロナが……、全部イヤなのだ。

一時は、年間三○回を目標にゴルフに励んでいたが、最近ではその五分の一程度になった。年間三○回という回数は、一年のうち一ヶ月は山の爽やかな空気を吸って、ストレスフリーで健康的な一日を過ごしているということだ。

また、その際に同伴する仲間たちは、家族以上にお互いの秘密を知る親友となった。共通の趣味で結ばれた友人たちと昼間のゴルフが終わったあとのいわゆる一九番ホールは大いに盛り上がった。

そこには、上場企業の経営者から大物政治家までが集い、お互い立場を忘れて、まるで中学生・高校生くらいのレベルまで精神年齢を下げての実にくだらない話で夜の政治経済を楽しんできた。

知らないうちに、これが日常生活において大切な効果(良好な人脈形成)を構成していたのだ。

それが、いまでは年間五~六回程度のお付き合いゴルフに減り、また一緒に楽しんだ先輩たちの多くが会社からの定年退職やさらには鬼籍に入るなどして、一九番ホールのメンバーも様変わりしてしまった。

フト気がついたら大切な人脈にヒビが入っていた。

人間の付き合いは老若男女問わず幅広い範囲に手を伸ばしておくことが大切であって、偏った付き合い方をしているとチョットした変化ですぐに仲間が減ってしまう。

僕の場合、仕事において自分より年輩の人たちが、僕を実力以上のレベルまで引き上げてくれていたために、最近のゴルフ回数の減少、人脈の涸渇は、当然、生活や仕事にも影響が出てくるようになってしまった。

つまりは、自分より年齢が上で実力もある人たちとの付き合いの方が仕事の充実には即効性があるものの、そういった環境はあまり長続きしないことに早くから気づいておけば良かった。

自分が先輩たちから可愛がられ実力を養生しているときにこそ、自分より下の世代にも種を蒔いておいて、いずれ自分の力が衰えたときに備えておくべきだったのだ。
 

※本記事は、2021年6月刊行の書籍『ロータリークラブに入ろう!』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。