4 遺伝子検査に向けて

私が自分の考えを話したことにより、この時点で、かけるくんとおばあさんは遺伝子検査を受ける気になっていました。しかし問題は、お母さんにどのように遺伝子検査の話をするのかということでした。お母さんに説明せず遺伝子検査を行うわけにはいきません。

お母さんは、かけるくんの今までの経過や病気のことを聞かれると、昔のことを思い出してパニック発作が出る、とカルテに記載されていました。

私が担当するまでにも、小児科外来や救急外来でたびたびトラブルになっていました。

そのようなお母さんに、遺伝子検査をやりますとお話しするのはとてもリスクがあります。場合によっては病院にクレームが入り、教授に怒られて始末書を書かないといけないかもしれません。

お母さんに直接話すよりは、まずはお母さんの意向を聞いたほうが無難だろうと考えました。

そこで、遺伝子検査の話を聞きたいかおばあさんからお母さんに聞いてみてもらったところ、とりあえず話は聞いてみたいとのことでした。

かけるくん、お母さん、おばあさんが揃った状況で、遺伝子検査をすれば臨床試験が受けられるかもしれないという話をしました。お母さんは、

「今まで治療があるなんて聞いたことないんですけど、そんなことってあるんですか?」

と半信半疑でした。

もちろん、私も絶対に臨床試験が受けられると思っているわけではないので、何とも言いようがありません。私がそれ以上お母さんに説明することができず困っていたところ、かけるくんが、

「自分のことを知りたいから検査を受けたい」

と言い出しました。

確かに法律的には16歳以上だと自己決定権があり、必ずしも親の同意はなくても遺伝子検査はできます。

このころ、かけるくんは県立高校に通っていて、クラスで3位を取るなど成績は優秀でした。また、かけるくんは、私の話を聞いた後に遺伝子検査を受けるメリットや臨床試験の可能性についてすでに調べて、遺伝子検査を受ける決心をしていたのです。

私は、かけるくんが自分で遺伝子検査を受けたいと言ったことが何よりもお母さんの教育が正しかったことの証明だと思いました。お母さんにそのように伝えたところ、

「かけるが遺伝子検査を受けるって決めたなら、私にそれを止める権利はない。でも、かけるが病気だと遺伝子検査で確定してしまうことはすごく怖い。もちろん、歩けないし、手もほとんど動かないから、病気だろうということはわかっている。けれど、それを受け入れることが今まではできなかった。でも、治療ができる可能性があって、それに向かうには遺伝子検査をしなくてはいけないなら、検査を受けさせてあげたいと私も思う」

とお答えになりました。そして、お母さんは、

「仮に遺伝子検査をして脊髄性筋萎縮症だったとわかったとしても本当に臨床試験を受けられるかどうかわからない。それに自分たちは英語もできないし、実際にアメリカに行くのも大変だ」

と心配していました。そして、お母さんが一番知りたいことは、

「もし日本で治療が受けられるようになるなら、それは何年後くらいですか?」

ということでした。アメリカではまだ重症の1型で臨床試験が行われている状況です。さらにかけるくんのタイプである2型に遺伝子治療の適応が広がり、そのうえで日本でも保険で認められて治療ができるようになるには、長い年月がかかることが予想されました。

そのとき、私のなかで具体的な予測というのはなかったのですが、「とりあえず5年から10年後だと思う」と答えた記憶があります。特に根拠はないのですが、その時点でかけるくんが16歳でしたから、5年で20歳、10年で25歳、それくらいまでには治療を開始したいと思いました。

脊髄性筋萎縮症の2型は、無治療だと30歳までに半数くらいの方が亡くなるので、それまでに治療が始められたらいいなという希望的観測でした。

退院後にもう一度、遺伝子検査を行う意志に変わりがないことを確認し、採血した検体を東京女子医大に送りました。

12月に結果が出て、クリスマスの日に説明することになりました。東京女子医大から送られてきた封筒をかけるくんと一緒に開けると、「診断:脊髄性筋萎縮症」と書かれていました。

かけるくんとお母さんに、

「脊髄性筋萎縮症と診断もついたし、担当を小児神経の先生に変わりましょうか?」

と聞いたのですが、

「岩山先生を信頼しているのでこのまま担当を変わらないでください」

とお答えになりました。

かけるくんが遺伝子検査した当時(2015年)は、複雑な病院間の契約を結んだうえで、血液を東京女子医大に送らないと検査ができませんでした。また、遺伝子検査の結果が出るのも2〜3ヵ月くらいかかりました。

しかし、今では(2020年現在)、院内の検査室に血液を送れば、特に手続きがなくても検査ができます。血液を提出後、1週間以内に遺伝子検査の結果が出ます。

最近、冒頭でご紹介したスピンラザを始めたお子さんでは、私の外来に初めて来たのが木曜日で、その2週間後の火曜日から治療が始まりました。かけるくんは、診断からスピンラザを開始するまで2年半かかったので、今とは全然違う状況でした。

脊髄性筋萎縮症の治療の環境も、検査や治療薬を含めてこの数年でどんどん改善されており、この傾向は今後も続いていくと思います。

※本記事は、2020年4月刊行の書籍『希望の薬「スピンラザ」』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。