そして商業機能と事務所機能を一つのビルに収めるという画期的な手法を超高層の二つの丸ビルにも引き継ぎました。超高層の二つの丸ビルの六~七階まで商業機能を入れたことは、東京駅前の丸ノ内地区に商業デパートが二棟建ったと同じ効果がありました。

その結果、嘗ては、丸ノ内仲通りと言えば日本最大のオフィス街通りと言われていましたが、最近では大手企業の本社は、丸ノ内仲通りから他所へ移転しており、その跡に高級ブティック店が軒を連ねて入居しています。

地味なオフィス通りが派手なブティック通りに変身するのに、丸ノ内仲通りの歩道を広い洒落た石畳に変えて「東京のシャンゼリゼ通り」に仕立てようと街路の模様替えも行われました。

街路樹をマロニエからケヤキに植え替え、表参道を小型にしたようなファッション・ストリートを誕生させました。

その結果、嘗てスーツ姿のビジネスマンが闊歩していた丸ノ内仲通りには、今は着飾った若い女性や家族連れがショッピングにやってきます。更には内外の観光客も訪れる観光スポットとして東京の新名所にもなっています。

明治の近代的街作りは大名小路だいみょうこうじで始まった

実は、明治時代になって真っ先に西洋風の街並みが誕生したのは、丸ノ内の大名小路でした。

モダンの先端を行く街並みに、大名小路という江戸時代の名前を付けたのは歴史を忘れない知恵です。

この場所は、江戸城の内濠と外濠の間にありましたから、江戸城に参上するのに便利なので、多くの大名たちがこの地域に上屋敷屋を置いていました。それらの上屋敷を繋ぐ通り道が大名小路だったのです。

現在の大名小路は、有楽町駅近くから始まり、丸ビル、新丸ビルの表側(裏側は丸ノ内仲通りです)を通って永代通りの大手町駅前交差点に至るまでの街路です。

現在、大名小路と鍛冶橋通りとの交差点角に、煉瓦造りの三菱一号館が建っています。明治二十七(1894)年に丸の内に最初の洋風賃貸事務所として建築されたものを平成二十一(2009)年に復元したものです。

東京のオフィス街発祥の地のシンボルとして、内部も建設当時に戻して美術館になっています。

なお、丸の内パークビルの大名小路に面する低層階のファサードは、旧三菱一号館の石材を再利用して、煉瓦造りの外観を再現しています。

大名小路のこの部分は、明治の煉瓦通りを連想させるものがあるので、この街区を丸の内ブリック・スクエアと称しています。

大きく変身する丸の内仲通りがある一方、大名小路では伝統を残そうとしています。

※本記事は、2021年5月刊行の書籍『東京の街を歩いてみると』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。