オフィス街発祥の地は丸ノ内

日本で初めてオフィス街という街並みが生まれた所は、東京駅の周辺です。

時代を遡れば、三菱の岩崎彌之助が明治政府から江戸城内だった丸ノ内地区の払い下げを受け、赤煉瓦造りの「一丁倫敦」というオフィス街を建設した時に始まります。

大正時代に入り東京駅が開設されて、東京海上ビル、日本郵船ビル、丸の内ビルとオフィスビルの建設が続き、日本橋界隈が三井系の金融・商業街に発展したのに対して、丸ノ内地区は三菱村と呼ばれるオフィス街に成長しました。

現在、東京駅周辺のオフィス街の中心部は「丸ノ内・大手町地区」と言われていますが、その名前が示すように、この地域は江戸城の本丸や大手門のあったところです。

その全域は、江戸城の外濠(八重洲通り)と内堀(日比谷通り)に挟まれたところです。

この「丸ノ内・大手町地区」のビルには、大企業や中小企業の本社が入居しましたし、今もその状態は続いています。

本社機能を人体に喩えれば頭脳や神経に相当しますが、その活動は企業情報の生産、処理、伝達という仕事ですから、物を生産する工場のように広大なスペースを必要としません。

しかし、本社機能の活動には、第一に情報交換に便利な立地条件が求められますし、第二に情報交換機能の密度を高めるため同じ場所への集中が求められます。

こうして丸ノ内・大手町地区のビルは、時代と共に高密化し高層化していきました。

しかし丸ノ内・大手町地区が他のオフィス街と違う特徴は、企業業務機能のオフィス街でありながら、消費者のための街の機能、即ち商店と飲食店が質量共に充実していることです。これが特に顕著な場所は丸ノ内仲通りで最近の変化は目を見張るものがあります。

丸ノ内仲通りはオフィス街からブティック街へ

日本のオフィス街の誕生を象徴する建物が、大正十二(1923)年東京駅前に建てられた「丸ノ内ビルヂング」と、行幸通りを挟んで隣に建てられた「新丸ノ内ビルヂング」の二つの丸ノ内ビルヂングでした。

当時までの考えでは、オフィスビルにはオフィスだけを入居させるのが常識でしたが、丸ノ内ビルヂングでは二つのビルヂングの一階全てに商店を入居させて、道路から出入りするビルの地上階を商店街としたことです。

今では低層階に商業機能を入れるのは当たり前ですが、大正時代という早い時期に、オフィスビルの一階を商店街として一般客に公開した発想は先駆的なものでした。

この先駆的な二つのビルヂングは、最近、夫々それぞれ、「新しい丸ビル」(平成十四〈2002〉年)、「新しい新丸ビル(平成十九〈2007〉年)」として、超高層ビルに建て替えられました。