語学留学の先に見えた未来

一方、授業はというと、サブジェクト(主語)・バーブ(動詞)・オブジェクト(目的語)・アジェクティブ(形容詞)と繰り返し何度聞いても全く理解ができない。

先生はあくまで正確なグラマーイングリッシュ(主語・動詞・目的語・形容詞などを一切省略せずに話す英語のことであり、その英語は外国で高貴な身分の人が話すものとされている)のみを使っており、日本語を話すことはできない。先生が日本語で話すのは唯一「大丈夫?」くらいであった。その心遣いにさえ、虚しさを感じた。

初日の買い物では食材の他にB5のノートを3冊購入するように言われ、日記・勉強・単語の用途に分けて使用することを命じられた。日記は毎日1枚、勉強は授業時、単語は毎日10個以上書き上げて文章を作成することを求められた。日常会話やビジネス会話ができればと思い留学したため、ここに来てまさかの単語テストである。正直愕然とした。

それでも何とかごまかしながら英語の授業を受けていたが、それも1か月に満たないくらいで通用しなくなった。例えば、日記をつけるのにグーグル翻訳を使用していたが、先生にすぐにばれてしまった。単語を引くことには使用してもよいが文章の作成には使用禁止と言い渡された。

留学して半月を過ぎても聞くことや話すことができないと、会話をすることができず、もどかしさは募っていった。授業が終わり、帰宅するのは午後6時頃であり、そこから夕飯の支度、日記・単語帳の整理、文書作成、日本での仕事もこなすには24時間では足りなかった。

留学してからも毎日6時間程度社労士事務所の報・連・相や業務に追われた。ネット社会とは便利なものであり、文書の作成や確認、メール、電話も行うことができるのである。唯一できなかったことは、毎月顧問先を訪問することであった。それは、私が不在の間事務所を託した部下が行ってくれていた。